“Piano Man”について
アメリカを代表するシンガーソングライター、ビリー・ジョエル。
抜群の音楽センスで70年代から90年代にかけて多くのヒット曲を生み出しました。
日本でも人気なのはメロディ重視、歌詞がシンプル、英語が聞き取りやすいなどの特徴がハマったからだと思います。私もソロアーティストとしては一番好きです。
唯一残念な点は長らく新作を発表していないため若い世代にあまり浸透していないことぐらいでしょうか。
ここでは彼のニックネームの由来にもなった代表曲といえる “Piano Man”について書きます。
全部サビですぐに歌える
“Piano Man”はイントロのピアノが流れた後ハーモニカが奏でる主題をなぞったAメロが登場し、Bメロでラーララーと小休憩したのちAメロをほとんどそのままサビとして使う楽曲です。同じ旋律が延々と繰り返される、いわばほぼ「全部サビ」と言っても過言ではありません。
この耳に残る旋律を5分半もの間何回も繰り返されるのですから、この曲を聴いた人は初めてであっても忘れることはないでしょう。
しかも覚えるメロディが極端に少ないのですぐに歌えるようになりますし、歌が苦手でも親しむことができますね。
「人間模様」の歌詞
ここまで印象に残るメロディとシンプルな構成というヒットの基準を既に満たしてきました。
でもシンプルな曲はその裏返しとして冗長になり飽きられがち。
ずっと同じことやってるじゃん、と子供でも突っ込みますよね。
“Piano Man”はこういった曲の短所を歌詞で見事に克服しています。
まずは人物描写が秀逸です。土曜日の9時にバーに集まった人々を紹介していく、といった曲に通じるシンプルさ。手短な紹介ながら「こんな人いるんだろうな」と想像力を掻き立てるキャラクターばかりです。夢に敗れた者たちが一時でも現実から離れるために集い分け隔てなく同じ時間を過ごしている。彼らを眺めているピアニストが羨ましいし、彼らに混ざって語り合いたい気持ちになるリスナーも少なくないはずです。今度はどんな人が出てくるのだろうか。メロディに飽きたという感情は見事に端に追いやられますね。それどころかメロディがコース料理を運び込むような心地良い役割を果たしています。
ビリーが声を変えると視点がバーの彼らに移り、語り手であるピアニストに「歌ってくれよ」とお願いしています。これを実際に歌っているのはビリーなのでメタ的な面白さもあるのですが、同時に聴き手の声にもなっています。ステレオの前に座る、イヤホンを装着する、ビリーのライブに参戦するなど形は違っても彼の歌(とピアノ)を求めている点では同じ。楽曲内のバーの状況が再現されているのです。ここまでオーディエンスとリンクする楽曲は非常に稀であり、単に美しい曲を作るだけでは到達し得ない奇跡です。
曲のエッセンスを凝縮した象徴的な歌詞といえば
Yes they're sharing a drink they call “loneliness”
But it's better than drinking alone
でしょうね。比喩を使いながらもしっかりと楽曲をまとめて誰もが頷ける普遍的なメッセージとして昇華し、聴いている者の心を鷲掴みにしています。
年齢を重ねると味わい深い曲
“Piano Man”のもう一つの魅力は聴き手の変化と共に違う体験を提供することです。
曲と詞の良さは子供にも分かります。
しかしバーに集まった人々のように実際に人生経験を積んで挫折を味わってきた大人が聴けば別の捉え方をするでしょう。歌詞が他人事ではなくなりますからね。
私は小学生時代からビリーが好きだったのですが、この曲で泣いたのはやはり大人になってからでした。
おそらく中高年になればまた別の感情を抱くことでしょう。
大袈裟な表現にはなりますがリスナーが「楽曲と共に成長できる」のがこの曲が幅広く愛される一番の理由だと思います。