謎の学内賞への怒り、市指定史跡(しが多い)
車を走らせていたら市指定史跡(しが多くて面白い)という看板が見えたので立ち寄ってみた。
17世紀ころ?の作だったか、もう少しきちんと看板を読むべきだった。もう3体ほどあり、写真を撮らなかったが阿弥陀の像もあった。
日本の建築や彫刻については日本画を出たにも関わらず、というか現代日本画(家)への反発からあまり勉強してこなかった。しかし冷静に考えてみれば近代以前の日本美術に罪はないのであり、最近は機会があれば地元を中心に昔の日本美術というか日本文化を見て回るのもいいなと思っている。
そんなことであるので、アトリエに転がっていた稲賀繁美『美/藝術 3 ーー日本の近代思想を読みなおす』(末木文美士、中島隆博責任編集、東京大学出版、2024)を読んだ。この本にはさまざまな近代に書かれた芸術にまつわる評論が収録されており、またそれについての解説を「その分野を牽引する執筆陣」が書いている。
この中に岸田日出刀が訳したブルーノ・タウトの「予は日本の建築を如何に觀るか」が収録されていて、これの解説に次のようにある。
曰く、タウト以前のたとえばチェンバレンなどが伊勢神宮や桂離宮などを「掘立小屋」「田舎の納屋」にすぎないという認識しか持ち得なかったのとは対照的に、タウトは「その「伊勢」にアテネのパルテノン神殿に匹敵する世界建築の精華を認め、(中略)さらに桂離宮に「現代性」と「世界的奇跡」を捉えた」。そして、「その見解がいかに斬新に見え、どれほど当時の日本人読者を感激させうるものだったかは、想像に難くない」(p.194)という。
これを読んで僕はある自分の経験を思い出し悲しくなってしまった。引用で語られているのはつまるところ欧米から一流と認められないコンプレックスを自前では解消できずタウトという欧米人による激賞によって補償するいじましい日本人の姿だ。
僕はかつて芸大の修了時にサロン・ド・プランタン賞という謎の賞をもらったことがあり、今から思えばこんなものは学内政治で気まぐれに与えられるものでしかないのだけれど、全く賞に縁がなかった僕は受賞にそこそこ喜んでしまった。これは振り返ると屈辱的な経験だ。
勝手な基準を押し付けてこちらにストレスを与えてくるような傍迷惑な「カノン」に、本来ならば何の引け目も感じる必要はない。引け目に感じる必要があるとすれば美術を学ぶ過程で自己が多少なりとも解体されていく、そうした力を持つ作品に相対したときに生ずるその存在の大きさに対してのみなのであり、断じて中高年男性が自らの保身のためだけに良いということにしておいていると表現するほかない澱んだ基準に対してではない。
つまり勝手に否定しておいて、のちに勝手に認め、嬉しいだろうと宣うその傲慢に、それと気が付かずまんまと喜んでしまった自分を恥ずかしく思うのであり、その卑しい姿と、タウトに認められ喜ぶ日本人の姿が重なって見えたために悲しくなった。
一大学の話に過ぎない僕と日本文化の危機的時代にあった日本人とではまったく状況も規模も異なり、もちろんある程度は仕方がなかった部分もあるのだろうけれど、そこに通底する構造は相似であるはずだ。
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この基準の傲慢な押し付けは個人対個人においては起こらないと思っている。たとえばどれほど有力で聡明な批評家に貶されたとしてもその人は個人の名において判断しているのであり、批評とはその背後に自身の知識と感覚のみを背負い成すべき営みであるから、組織や国家といった個人の大きさを遥かに超えるものを背負い発せられる判断とはまったく性質が異なる。
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こんな自嘲めいた悲しみを感ぜられるのもある程度この構造から距離を取ることができたがゆえである。
こういう話題になると筆が滑るのは相変わらずだが、もう過去の話であるのは間違いないし、一通り書き散らしたら満足した。ヘッダーは全然関係ないインディジョーンズのゲーム画面。
今日はどんなものを見ようか。また市指定史跡(しが多くて面白い)を探すのも楽しいだろう。