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旅行記Ⅱ

 中学2年の夏、家族で旅をした。(エジプトについては旅行記Ⅰに書いてあります)

 旅の最後の目的地は、ギリシャだった。足を踏み入れた時、なんとなく僕の地元に似ているな、と思った。

 西洋文化への影響力という点で、古代ギリシア文明は他を圧倒している。まぁギリシャはギリシャで、エジプトやアジアの文明から少なからず影響を受けているのだが、後述するように、ギリシャ原理主義とも呼びうる人々は、それすら認めたくなかったようだ。
 ただ、ギリシャ文明には、他からの影響を受けることなく独自に文明を発展させた、と信じたくなるような魅力があることも確かだ。

 アテネの中央にそびえるアクロポリスに建設されたパルテノン神殿は、なんというか彫刻的な趣を持っている。小高い丘という立地もあるが、神殿それ自体が周囲とは独立した価値を有してるように思える。たとえパルテノンをどこか全く別の場所に移動させても、その美しさは減ずることがないのではないか。
 また、パルテノン神殿の近くにあるエレクテイオンには、カリアティッドがある。カリアティッドとは、エンタブラチュア(梁)を支える、人型の柱のことだが、いくつかは大英博物館などに所蔵(収奪?)されている。大英帝国が世界各地から運んできたコレクションについては、最近その是非が頻りに議論され、実際にいくつかの作品は返還されたりしている。しかし、ことカリアティッドに関しては、美術史家の高階秀爾氏が何かの本で言っていた気がするように(曖昧すぎる)、カリアティッド自体が密かに収奪を望んでいたようにさえ思ってしまうほどの独立した完成度を備えている。

 一般的に、白はニュートラルな色である。白紙状態(タブラ・ラサ)、潔白などなど、とにかく、概念や抽象と結びつきやすい色である気がする。神々が大理石によって表象されたギリシャ彫刻のその白に、後世の人間が、自然の美を超越した証を見たいと思うのも無理のない話だ。
 現に20世期前半には、大英博物館職員によってエルギン・マーブルを含むギリシャ彫刻の表面に残存した色彩の洗浄事件が発生する訳だが、これはギリシャ美術は「白の文化」でなければ、という強い思い込みが引き起こしたものであった。(ちなみにヘッダー画像は僕が大英博物館でスケッチしたフリーズです)

 ところで、ギリシャの都市部はとにかく落書きが多かった。至近距離で警官らしき人が無賃乗車をした人を捕まえる場面にも遭遇したり、あまり治安の良い印象がない。僕が行った当時からギリシャはおそらく経済危機に見舞われていて、刹那的な若者がドラッグに興じて街角で騒いでいたりしていた。
 落書き、グラフィティという手法は表現と破壊の衝動、自己の領土の主張、世界に対する変化の要請、そしてそれらへの諦念の混合物だ。違法なグラフィティに精を出す若者は、二歩目が踏み出されることのない飛翔のファーストステップとして、多くは彼らが住む街の壁に自身の痕跡を残す。

 現実の否定という意味で、グラフィティと彫刻洗浄事件は共通点を持っている。両者とも、自分が否定したい対象を実際に毀損している。また洗浄については、ギリシャ彫刻からルネサンスへ、という図式を動揺させたくないがための保守的な行為でもある。グラフィティはこうした保守性とは対極をなすように思えるが、実は一定のスタイルに偏っているという点からも、記号を解読できるもの同士の連帯を深める(自由を志向しているように見えて)ローカルな行為であるとも言える。破壊とは、ある一方にとっては、文字通り破壊的な効果をもたらすが、もう一方には障壁の撤廃による連帯を生む。

 ロシア・シュプレマティズムの芸術家、マレーヴィチは、ルーベンス(レンブラントだったっけ?)の絵画とそれを燃やした灰を入れた瓶は全くの等価である、と言った。急進的な否定性が革命的芸術には必要だということなんだろう。
 バロック絵画がマレーヴィチの手によって燃やされることはなかったが、パルテノン神殿はトルコ軍が火薬庫にしていたために、実際に爆発して半分近く吹き飛んだ。実際には、領土を守るための火薬庫という、極めて保守的な理由でパルテノン神殿は破壊されてしまった。

 内向きの保守性から生じる退廃の感覚、これが、ギリシャと地元に似たものを感じた部分なのかもしれない。同郷の芸術家である飯田善國(1923〜2006)は、地元とプラハに似たものを感じたらしい。案外、その理由も似たものであるだろうか。

 
 


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