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1分間スピーチ

夢に小学校のころの級友が出てきた。

彼はおとなしく、色白で目の大きなシャイガイだ。特別仲が良いわけではなかったけど、仲が悪いわけでもなかった。
ただ、彼のことは他の同じくらいの関係性の旧友に比べて思い出す頻度が多い。なぜだろうと考えてみると、やはりある朝の会に行き着く。

朝の会が一般的な言葉なのかは知らないが、僕の通っていた学校では、先生の挨拶、読書、それから日直による1分間スピーチというものを1時間目が始まる前に行う会のことを指していた。
この1分間スピーチというのが曲者で、前日にあったことや考えたことを1分で話さなくてはならないのだが、当然話すのが得意な人間とそうではない人間がいて、後者にとっては大変苦痛を伴う時間であった。
僕はといえばその時の自意識としては得意でも不得意でもなかったので「みんなの前で話すの嫌だなあ」程度のものだったが、今日夢に出てきた友人などはシャイガイなのでかなり苦労していた。
ある朝の会で彼が何も喋れず1時間目に突入してしまい、そのまま先生も彼が話せるまで何の助け舟も出さず、結局彼の涙でやっとこの引き延ばされた苦痛の時間が終わるかと思いきや、先生は彼の落涙からさらに粘らせ、その時間は僕には「永遠(とわ)くれェ長ェ」(by ナックル)ように感じた。

この光景を今に至るまで断続的に思い出す。困る彼の姿と引き延ばされた時間が焼き付いてしまっている。光景を側から見ている自分にはこの時間をどうすることもできず、彼の涙という精一杯の表現もこの時間を断ち切るには至らなかった。
尊大さと憐憫とが混じったような面持ちで座っている担任がこの状況を生み出しているのに、その担任こそがこの状況を終わらせることのできる唯一の人間であるという理不尽に小学生である僕たちはまったくの無力であった。

1匹の大人の基準で1分間という時間の正解が決められていいものだろうか。僕も含め怒られないように適当にやり過ごしておくかと考える大多数の児童は昨日起きた当たり障りのない日常を切り貼りして1分をやり過ごすだろうが、人によっては「沈黙!!!それが正しい答えなんだ」(by クラピカ)。
良くも悪くも、僕が覚えているスピーチは彼のものだけである。他の人のものはおろか自分のスピーチも全く記憶のはるか彼方に消え失せているが、彼の沈黙はまるで昨日のことのようにはっきりと思い浮かべることができる。
そして、担任の顔もまた明瞭に思い出すことができる。先にも書いたがそこには尊大さがあらわれており、しかしまた間違いなく真正に彼のことを心配し、良いことをしているという確信と自信に満ちていた。
そう、結局担任は若く非常に熱心な先生だった。適当な教師ならさっさと切り上げて僕の記憶にも残らないようなありふれた朝になっていたのだろうけど、熱心さゆえにここまで強烈に心に残ってしまう出来事になってしまった。

10年ほど前この旧友にばったり街で会い話をした。何を話したかはもう忘れてしまったが、相変わらず白い肌と大きな目が印象的で、それから話しているあいだすごく笑ってくれていたことに何故か安心したことを覚えている。

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