造花の花壇、仮設の橋
街では少し前から橋の架け替え工事をしていて、3年ほど車が通行止めになっている。その不便にもだいぶ慣れ、そもそも徒歩で橋を渡ることはできたから駅まで歩いて行く場合にはそれほど影響もなかった。
しかしちょっと前に徒歩でも通行不可となり途方に暮れていたが、歩行者用の仮設の橋が設置され安堵した。
最初のうちはテープライトに手すりが照らされるのみのやや無機質なものだったが、この間橋を渡るときに通路の両側に造花の花壇が点々と置かれていることに気がついた。
たとえ、一時的な仮設の橋だとしても装飾を施す人々のその心持ちに自分でも意外なほどの感慨を覚えた。
池袋の北口と東口を線路の地下を通って繋ぐ通路にもあるとき装飾が施されたが、そちらには同じような感慨を抱くことはなかった。
なぜかと考えてみれば、通路の壁を彩るパステルカラーの抽象的なイメージとともに、柱に監視カメラが設置されていたことが要因としては大きいだろう。剥き出しのコンクリートにカメラがあるならばなんとも思わないがファンシーで牧歌的イメージと監視カメラの組み合わせはことのほか不気味で、イカゲームのだるまさんがころんだステージなどを思い出してしまう。
結局、行政のおこなう美観整備ではなく、あくまでそれが小市民の自発的行動であることが大切なのかもしれない。
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ネアンデルタール人が同族を丁重に弔っていた証拠として、骨が埋まった洞窟内に、そこに咲くはずのない花の花粉が検出されたという話がある。それを発見した博士のドキュメンタリーを見たが、たしか実は花粉を運んできたのは虫たちの仕業で、埋葬とは関係がないという可能性もあるらしい。
ロマンチックな観点からはやっぱり花とともに埋葬していてほしいところだけど、どうなのだろう。言葉を理解し、手話を操るゴリラが「死んだらどうなる?」という質問に対し「苦痛のない穴」と答えたという有名な話も、どうやら色々批判があるという。
しかし、動物たちの理解する死の概念が、なんとなく人間の理解よりも真実に近いように感じるのは不思議だ。死を覆い隠すよう建築された文化の上で暮らす僕たちがそれをすっかり忘れたかのように振る舞っているからだろう。
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必要があって読み直している大宮勘一郎『ベンヤミンの通行路』(未來社、2007)のページをパラパラと見ていると次の一文に目が止まる。
「我々は、我らが貧者たち、あたかも勲功を賞する大綬とメダルのように靴紐と靴墨缶をぶら下げた、富をめぐる競争の傷痍軍人たちの悲しき尊厳からいかに遠く隔たってしまっていることか。」(pp.193-194)
ベンヤミンの「マルセイユ」と題された文章の一部である(孫引き)。
傷痍軍人の疵がプライドとトラウマの両方の源泉となりうるように、「富をめぐる競争の傷痍軍人」もまた、その貧しさに対して相反する二つのもの、尊厳と悲嘆の間で生きている。
思えばこの街もそうした相反に挟まれてはいないか。ギリシャに到着したとき思ったのは故郷に似ているということだった。それは、かつて栄華を誇りながら富をめぐる競争から緩やかに脱落した古都のもつ、悲しき尊厳の故であろう。
その街の象徴ともいえる川を渡る橋に、造花の花壇が置かれている。花を捧ぐことは死そのものと目を合わせぬため、造花であればそれは目を合わせぬことから目を背けること。