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日記「独裁者になったら」
今日も今日とて仕事だったから取り立てて書くこともないのだけれどなにかなかったかと思いを巡らせてみれば、たとえば季節について。
鼻腔を通過しても暖まりきらない空気にやっと冬の到来したのを感じた。顔の前に手で空間を作り、冷えた空気が直接肺に入らないようにしよう。
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僕はよく思うことがあって、それはあらゆる人が詩を書く世の中になれば良いんじゃないか、ということ。言葉によって自分の場所を作ること。大学院時代に先輩がドゥルーズのリトルネロを援用して自分の作品のコンセプトを説明していたことを思い出す。
不安な夜の暗闇に鼻歌を、口笛を吹くように、冷えた空気を手で暖めるように皆が見通しの悪い時代に詩を書くようになれば良いのにと思う。
しかし同時にもうひとつ思うのは、仮に僕が独裁者となったらなにとは言わないがある種類の絵の制作を禁じてしまうだろうということ。告白してしまうが、正直に言って見たくもない絵というのはたくさんある。街に溢れている。自分になんでも思い通りになるような絶大な権力があればそんな絵を禁止してしまって目に入らない社会を作ろうとするだろう。
だから僕は、決して権力を握ることはあってはならない危険思想の持ち主だと言える。
ヒトラーが「頽廃芸術」としてある種の芸術を排斥したが、歴史は独裁者の見る目のなさを証明している。前田良三『ナチス絵画の謎』(みすず書房、2021)に詳しいが、ヒトラーは印象主義すらも解さず、アドルフ・ツィーグラーなる画家の作品を評価していた。現在彼の作品『四大元素』(括弧は本文準拠)はミュンヘンの美術館(ピナコテーク・デア・モデルネ)で、数々のモダニズムの優品と並べて展示され、その様子はまるでこの独裁者の趣味の悪さを現在に至るまで衆目のもとに晒しているかのようであるという。
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ヒトラーはしかし自らの見る目を信じていたのだと思う。それを他者に共有するために自らが悪と思う作品を排除したわけだが、その自信が裏目と出て美術においても汚名を残してしまった。
仮に僕が独裁者となったとして、ある種の絵を糾弾したならばその判断は歴史的にどう審判が下されるだろう。
おそらく僕がどんな絵を排除したとしてもそれは間違った判断であったとみなされるのだろう。
そして排除された方はその事実によって新たな力を得る。弾圧は常に最終的には表現を駆動する力にしかならない。
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以前、「何も描かない人はときに多作な画家よりも芸術的だ、なぜなら絵の持つ芸術性はマイナスなことがありうるが、何も描かない人の芸術性はゼロだから」と言って人を不快にさせたことがある。
別に芸術性がプラスであればあるほど良いことではないということはひとこと断っておくとして、こんなことを一介のたかだか30数年しか生きていない人間が言うのは極めて傲慢なわけでそれは重々承知しているのだけど、それでも描き続けてさえいれば画家は勝ちなのだ、というしばしば見られる価値観にはどうにも乗り切れない。
制作を辞めた人、そもそも始めなかった人には、続けている人には見えていないものが見えていたのではないかとよく思う。制作を辞めた人間は次のステージに行くのが、続けている人間よりも早かったということなのではないかという疑いが僕の頭からかれこれ10年くらい離れない。
それでも絵を描くのをやめるつもりは今のところ全くないのが僕の卑怯なところなのかもしれない。