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競り落とせない幸福― 感情オークション【860文字/SFショートショート】
全財産を注ぎ込んだオークションで落札した「純粋な幸福結晶」が、脳裏でほんの数秒、淡い光を放っただけで消えた瞬間、ぼくは凍りついた。
この世界では、感情が商品になっている。
額に貼る「幸福シール」で気分を誤魔化すのは当たり前。より希少な感情は、仮想の「感情オークション」で天文学的な値段で取引される。ぼくも長いことシールでしのいできたが、すぐに物足りなくなる。もっと深く、圧倒的な幸福が欲しくて、最高級と謳われる結晶を手に入れたのに、ただの数分間でかき消えたなんて。
あんな大金を払ったのに、所詮これはツクリモノでしかなかったのか。心が冷える。値札付きの幸福は形を変えても虚しいだけ。期待が大きかった分、心が底から凍りつくような気分だ。
夕暮れ、幸福シールもなしで外へ出る。
生身の肌に風が触れ、ひりつく感じが妙に新鮮だ。行き交う人々はそれぞれ、シールやオークションに頼っているかもしれない。でも、ぼくはもう何も買う気になれない。
すると、道端で小さな子のの泣き声が聞こえた。転んでヒザをすりむいたらしい。血が滲んでいる。少し迷った後、ぼくはかがんでポケットのハンカチで血を拭き取る。
「痛かったね、大丈夫?」
驚いた顔でぼくを見上げる。だが、ぼくがそっと手を貸すと、涙をこらえながら「ありがとう」と小さく言った。その声は弱々しくも確かで、先ほどまでの泣き顔が少しほころんでいる。
ぼくの胸がかすかに震えた。
これはオークションでもシールでも手に入らない、値札のない感情だ。誰かを思い、助け、感謝される――その瞬間に宿る温もりが、ずっと探していた本物なのかもしれない。
ペコリと頭を下げて、トコトコと走り去る。
ぼくは立ち上がり、額を指でなぞる。貼り付いていない肌が、なぜか生き生きと感じられる。もう幸福感を買う必要はない。
人と人が触れ合う、そのささやかな光が、心の空白を埋めていく。
ぼくは雑踏に踏み出した。軽く息を吐くと、先ほどまでの冷えた心が、ほんのわずかだが温かくなっている気がする。
これでいいんだな、と思えた。
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