「今度撮ればいいや」をやめる。日常の記録を残す意味。
街中を歩いていて面白い建築物や目を引く光景というのはいたるところに存在しますが、見慣れた景色だと中々写欲は湧かないものです。
面白い、綺麗だなと思っていても
「まぁ近所だし今度撮ればいいや」
という考えになりがちです。
これは自分の中で勝手にこれからもこの景色は無くならないという謎の固定観念があるからだと思います。
それか、焦って撮るほどのものではないと思っているから。
当たり前のことですが、時は常に進んでいます。
コンマ単位で世界は変わっています。
どんな人やモノもいつかは無くなり、消えます。
しかもそれは大抵突然やってくるものです。
朝にはあっても夜にはないかもしれない。
来年までは残っていても、再来年はないかもしれない。
30年後はないかもしれない。
今あるからしばらく消えない。
のではなく
「まだ、消えてない」だけ
という考えが大切だと私は考えています。
なぜこんなことを書いているのかというと、
私が実際に「あの時撮っておいて良かった~」と思うことが頻繁にあるからです。
例えば
・20年近く住んでいた実家の目の前にあった愛着のある建築物がいきなり取り壊され見慣れた景色が突然なくなる。
・子供の頃に通っていた近所の駄菓子屋が朝起きたら全焼していた。
・ネットで見つけた廃墟を撮りに行ったその翌月に、取り壊しの工事が始まっていた。
・20歳で突然心臓の病気で急死した友人。亡くなる1年前に元気に悪ふざけしている写真を撮ったばかりだった。
など、あと一歩遅かったら撮れていなかった写真。
あの時に重い腰(指)をあげてシャッターを切っておかなければ永遠にこの光景を見返すことができませんでした。
「良く撮った。ナイス、俺」
と思うわけです。
その光景を撮るか撮らないかというのは完全に自分だけの判断で、所詮気まぐれです。
この経験をしてから、当たり前を撮ることの大切さを改めて理解しました。
自分の目で見たその瞬間を完全に残せる方法は写真と動画だけです。
どんな写真も無駄なものはなく、全く同じ時間・同じ場所・同じアングルで撮った写真は世界で1枚しかありません。
たとえ観光地の有名フォトスポットにおいてもです。
全ての写真はあなたが存在しなかったら存在しなかった写真
こう考えるといかに写真1枚の持つ力と価値が大きなものだということが分かると思います。
「撮るものがない」が口癖の人は
「撮るものしかない」と考えることで
今よりもさらに写真ライフが楽しくなりそうですよね。
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