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今すぐ読みたいのに
9月になったなと思ったら、
もう過ぎようとしている。
早い。
note.の更新がなかなかできなかった。。
なんだか、もう書く気力や意義などが薄れ始めたところ、
友達が読んでくれていて待っているというのである。
それで嬉しくなって書き始めたのである。
友 もう書かないの?更新まだかなって毎週見てるんだけど
私 いや、今書いてるところよ。(嘘ではない。書きかけで止まったまま)
もしかして更新待ってくれてる?
友 そうだよ。楽しみにしてるよ〜
私 えええ〜!
書きかけの中途半端ばかりが溜まっていた。だが、嬉しくなってまた書き始めたのだ。
これは、あれだ。
先日見た映画のあれにちょっと似ている。
映画「ルックバック」である。
私も雨の田んぼ道をスキップしたいくらいだ。
この映画がものすごくよかった。
涙がつーと流れる。
自分を認めてくれる友達が信じて待っているって、
すごく力があるな。
そして思い出したのが、
「風呂上がりの夜空に」だ。
大好きで何度も読んだ。
この中で主人公の女の子がRCサクセションの
「君が僕を知ってる」を鏡に向かって、僕が僕を知ってるから大丈夫なんだよって歌ってる場面がなんでも忘れちゃう私の頭に残っていた。
僕が僕を知ってるということが、私にはわからなかった。
私は私の批判者だったから、わかってあげられなかった。
最近ようやく味方になることができた。
だから僕が僕を知っている。と鏡に向かって歌えるようになった。
さてこの漫画の中では、主人公はすでに自分は自分の味方なのである。
ただ彼女にはずっと自分しかいなかった。
主人公の好きな男の子がそれを見ていて、僕も君を知っているよという場面へと続く。それって最強だ。
まず自分が自分をわかってあげていないと、
好きな人でも大事な友達の言葉でも、中の反対勢力に邪魔されて
届かない。
書いていたら読みたくなって本棚を探したけど、なかなか見つからない。
大事に大事にと奥にしまったんだ。どこにしまったか忘れてしまった。
もう読まない本はすぐにあるのに。
ああ読みたい。
探すのを諦めたところだけど、頑張って探そうか。もうすぐ0時。
朝になって探したけれど見つからないのに、
まだまだ探す気ですか〜と井上陽水を歌っても見つからない。
探すのをやめたら見つかるんだっけ。
読みたいのに。