ドラマ『カルテット』を観返して思ったこと
観たことない映画観ようと思ってアマプラ開いたのに、観たことあるドラマ観始めてしまって完走するまで終われないパターン。
カルテット、放送当時ぶりに観たらストーリー結構忘れてて新鮮。
ストーリーは忘れてても当時の感情はすごく覚えていて、ありすちゃんのこと当時すっごく嫌だったけど、今観るとそんなに嫌じゃないんだよなー。すずめちゃんのことは昔も今も大好き。
マキさんのことは、以前どんな気持ちで観ていたのかあまり覚えてなかったけど、今回、最後まで観て、わかったようで、結局謎だった。だから覚えていなかったのかも。
コンビニ前ですずめちゃんがマキさんを引きとめるシーンで、そうだよ同じ匂いだよ!と思いながらわたしも完全すずめちゃん目線でいたから打ち砕かれた…あの場所に、ドーナツホールの家に、足りないものなんてないじゃないって思ってたから。
マキさんの一言があまりに予想外で、わたしがすずめちゃんでも何も言えず立ち尽くしていたと思う。
でも、最後まで観てすべてを知って(いや、知ったようで知らない)マキさんが求めていたのは、本当にあの言葉通り?本当は?とずっと考えてしまう。
前回テレビ放送で観たときは、性格も考え方も全然違うけど、たったひとつの大好きな共通点と志がある仲間と、こんなふうに生活するのっていいなーと漠然と思った気がする。その時は、楽しそうだな、でもドラマの中の世界だな、くらいだった。
けれども今回観終えて改めて思ったのは、わたしもドーナツホールみたいな居場所がほしい。そしてけっこう切実に求めているということ。
わたしは結婚をしていない。(人と関わらないという意味ではなく、)ひとりでも生きていけてしまう世の中で、結婚の必要性はなんだろうと考えてしまう。でも、独りでいたいわけじゃない。
恋は必ず終わる。でも居場所を作るために結婚するのは違和感がある。どうしてもわたしにとっての理想の場所は、夫がいて妻がいて子供がいて、わたしは母親であり妻であり、、みたいなんじゃない気がする。いや、それでもいいんだけど、それが必須じゃないよねって思う。
そうじゃない形の家族が欲しいと思っちゃダメかなぁ?あれはフィクションだけのユートピアなのかな?
そうそう、あとね、なんで晴れが“いい”天気、雨や曇りが“わるい”天気っていうの?いいかわるいかはその人次第だよってのは、わたしも昔からずっと思ってたこと!だからうれしくなった。
なんでそう思うようになったんだろう?と記憶を探ってみると、おもひでぽろぽろで、好きな天気は、くもり、おんなじだ!ってのを子どもの頃に観たからかなぁ。わたしはその時天気に対してどれが一番好きとか思わなかったけど、天気に対して好き嫌いとかあるんだな、くもりが好きな人もいるんだな、とぼんやり思ったのを覚えてる。
考察みたいなことを自分がするのはあまり好きでも得意でもないけど。
「泣きながらご飯を食べたことのある人は、生きていけます」の台詞。印象的な台詞が多いこのドラマの中でもとくに、これは強いメッセージだと思う。(そしてこういう時必ず思い出すのは、千と千尋の、おにぎりを泣きながら食べるシーン)
坂元裕二さんのドラマには、“食べる”シーンがとにかくたくさん盛り込まれてて。同じシャンプーの匂いが頭からするのと同じように、同じものを食べてる事って、すごく強い繋がりを示しているんじゃないかって思う。
家族の条件ってなんだろうね。