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初心と憧憬

沖縄に移住してもうすぐニ年半になる。

コロナ禍に入ったとき、今だと思って始めたのが琉球舞踊。わたしは元々現代舞踊を長年やってきたものだからそれが活動の本業だったけれど、琉球舞踊に魅せられて、どんな想いをしたとしても、生きている限り死ぬ寸前までやり続けていたい、そんな踊りと出逢ったのだ。

移住するにあたって、わたしは猫とフタリで来た。猫の名前はマツコという。通常"マツ"と呼んでいる。こいつはなかなかに度胸のある猫で、孤独よりも冒険心が勝るタイプだ。彼女が居てくれるとわたしも平常でいられる感じがする。母には、「あんたの守り神だから一緒に連れて行け」と言われた猫なのだ。

移住したときは、最初に浦添市に住んだ。初めて沖縄で住むなら浦添市にしたいと前から決めていた。それは昔から仲間由紀恵さんという女優さんが大好きだったから、その人の出身である街に住んでみたかった。それだけの話だ。二年間住んでから別の街へ引っ越した。浦添市はわたしの憧れのスタート地点だったのだ。

今は北谷という街に住んでいる。海が近くて、部屋も以前より広くなり、リビングが広い物件だったので鏡と床板を張って、琉舞の稽古をするためのスペースを作った。練習の傍ら、元々やってきた現代舞踊系のエクササイズのレッスンを、踊りの基礎を大切にしている愛好家のために日頃開催している。

今の家に越してから、わたしの道は更に開けてきている。この一、二年で付き合う人もほとんどがが一変し自分のステージがガラリと変わったのを感じている。それだけでなく、出逢う物事や人々の応援が降り注いでくる。自分の道をただ一人で歩み切り拓くのは苦労がいる事だけど、わたしが行こうとしている道を喜んでくれる存在がいたり、存分に励める環境があったり、まるで行けー!と青信号をあちこちから突きつけられている感覚。毎日感謝しかなくて、人生でこれほど心から感謝が溢れるのははじめてである。突き進むのは正に"今"らしい。

いろんなことを気にして今まで生きてきた。気にするに足らないような事でも悉く気にして生きてきた。だから精神が狂って破壊的に陥る時期もあった。だけども、今は、生きていてうれしいことが多い。やっぱり青春は激しい渦なのかもしれない。苦しくて、悲しくて、全てを破壊して、血を流して死ぬような想いで生きることに渇望して、そんなことは一般的には精神病と片付けられてしまうことでも、人間として必要な時代とステージなのだ。生きるということは簡単な感情ではない、狂おしくて死にたいくらいに生きているのが人生の春なんだと思うのだ、今では。

わたしは青春をいつまで満喫できるだろう。琉球舞踊と出逢い、わたしは自分の血に流れているアイデンティティに目醒めた。この土地の文化や芸能だけでなく、日本という国の様々な文化や芸術に触れ続けたいと思うようになった。先人が創り、嗜み、残したものの感覚を味わいたい、そこに想いを馳せてその魂と語り合いたいのだ。そうしてしっかりと享受してからわたしがこの国に生きる子孫に何かを残していけたら…と思うけれどそれは、まだまだ先のことで今は漠然とした想像しかできない。

わたしは琉球芸能を通して、沖縄や、その歴史や、日本という国のことや、人々や、自然や、宇宙を嗜む旅路を歩み始めた。
この世に生きてしか味わえぬ普遍の美への憧憬を腹に抱いて、踊りと共に歩みたい。

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