こころを父から学ぶ
認知が進み施設に入った私の父。
ちょくちょく、施設から連絡も入るけど、徘徊し始めた頃の警察からの連絡よりはマシだと思っていました。
しかし、最近ずっとお風呂に入りたがらない…とのこと。
このままルールを守れなければ施設から退去をと忠告もありつつだったので、退去勧告が来てしまうのではないかと脳裏に浮かべながらも説得に行きました。
差し障りなく会話を始め1時間半が経ち…
さまざまな言葉でお風呂に入れようと試み始めました。
しかし、どうにもこうにも入ってもらうことができないのです。
1時間そこから粘り、ケアマネジャーさんにも協力してもらうものの、面会時間終了時刻となり入浴は諦めて帰りました。
帰りの車では運転しながらも止まらない涙…
この涙の理由が自分でもよくわからない。
帰宅後、娘たちの前では毅然とし、お風呂の中で再度また感情と向き合う。
父に怒りもなく、寂しさもなく、悲しみもなく、悔しさもなく、本当に何のモヤモヤなのか涙なのかが理解できない。
ふと、いつも自分がヨガのクラスで話していることを思い出してみました。
ヨガでポーズをする際、形に囚われず、そこに向かう過程での基本を見失わないように。土台を踏みしめて自分と向き合って感じながらも客観的に見ること。
ヨガは生き方を教えてくれます。
そうか…。
家族からも、今回のミッションとしてお風呂に入れて来てと言われながらも出向いた今日の施設の訪問。
私がいつも話す言葉と一緒。
お風呂に入った入らなかった…
そこはあくまでも結果。
今回、強引に入れなくて正解でした。
入ってもらおうと粘って話し続けていた時、父のことをとことん感じようとしていた自分がちゃんといました。
そこに気づくことができて感謝に変わりこころがスーッとしました。
きっと、このままでは今後行く度にお風呂に入れようという思いで一杯で出向いていたと思うのです。
でも、そうではなく、顔を見れて良かった、話せてよかった、まだ私のことを覚えていてよかった…そんな事をただ大切にしながら行けば良い事に気がついたのです。
こんなこと、当たり前かもしれないけど、自分のこと、実の父となると見えなくなってしまうんですね。
人生って本当に最高です。
色んな事があるから生きているって実感できるなぁ。まだまだ、こころの修業は続きます(^^♪
最後まで読んでいただきありがとうございます。皆さんのサポートをまた繋げていきたいと思います。