文学賞の一次選考
また1週間が過ぎて、3月に入ってもう数日。酷い花粉症で、連日くしゃみと鼻水が止まらないけれど、まだ鼻炎の薬は飲んでいない。水筒に刻んだ生姜とシナモンを一本パキッと開いて入れて、熱湯を注いだのをマグカップに注いで飲んでいる。
私は今、火曜日から土曜日のシフトで働いているのだが、今週は私の所属する日本オフィスに組織の上層部が来るので合わせて三日間オフィスに出社した。それに伴いチームでディナーに行ったり、どうせ出勤するのだからとオフィス近くのクリニックで健康診断の予定を入れた。金土は在宅勤務に戻し、木金土の夜はバーとスナックで働いた。
朝4時ごろに家に帰ってきた日曜日の今日は、当初弟たちと1日スキーに行こうとしていたのが中止になったので、一日中こんこんと寝て、近所の食堂で昼食を食べ、また寝ていた。旦那さんの要望でカレーをデリバリーし、それを半分食べて今ようやく、MacBookを開く。
色々なことがあった。書きたくなるようなことはたくさん溜まってはいたのだけれど、いざ書き出してみると何から書くべきかわからない。日中はぼんやりとした頭痛があって、先週の1日も確か頭痛で何もしない日があったことを思い出す。正直に言えば二日酔いなのだろう。ただ、そんなことを口に出せば旦那さんに夜の仕事を辞めろと言われるだろうし、この疲れは全て自己責任なので余計なことは黙って、今日はゆっくりする日にする、とだけ伝える。夜の仕事だってオーナーにもママにも情が生まれて、そんな簡単に辞められるものでもないし、シフトに入ってくれと言われれば、頑張ってしまうものなのである。心が折れればやめたいと思うが、身体にきついぐらいでようやく、私は人生を生きている気がしてくる。もう少し、意地を張らせてくれと思う。
最初はお金の為に始めたのだが、今では完全に経験の為、書く為の引き出しを増やす為、見た目を気にする仕事の大事さを実感している為、と情で続けている。というのも、今年のボーナスと昇給で、そこまでローンに関して心配はしなくて良くなったし、それよりもむしろお金が欲しいなら、昇進を目指して社内で努力をするべきだし、もし社内での成長が見込めないなら、転職をするべきで、夜の仕事はお金を稼ぐという目的であれば、体力的負担を考えれば、そこまで賢い選択肢ではないことは明確である。しかし、どんなに少額であっても大切なお金である。私はお金を使うことをやめないが、その為、常に自分の元へ流れ込んでくるお金の流れを止めてはいけない。そして、限界を自分で定めてもいけない。
金曜日の夜にメールを受け取って、私は先日応募した文学賞の一次選考作品に残ったことを知った。最初は自分の名前を見つけられず、やはり、滅茶苦茶なものを書いてしまったし、評価されるレベルではないのだと、自身をあやすように語りかけていたところで自分の名前を見つけた。横にあるのは確かに自分の作品の名前だった。なんだかふっと嬉しくなって、気づけは静かに泣いていた。少なくとも選考員の方の何名かが私の作品を読んで、選んでくれたのだということが、とてもとても嬉しかった。書き始める前は、これで賞を取るのだといきみ、いざ書き始めると書き続けることが精一杯、締切ぎりぎりで文字数を埋め、印刷をし、その日は休日で郵便局が開いておらず、コンビニで誤ってレターパックではなくゆうパックで原稿を配送してしまった、そんな作品であった。確かに届いて、誰かが読んでくれたというのが奇跡のように感じられた。小さな達成感が、もっともっと書きたいというモチベーションに繋がる。自分の作品の不完全さや曖昧さは重々承知しているし、作品自体に自信があるわけではないけれど、間違いなく私の内面を曝け出して書いているものであり、その点では作品が私という人間の象徴のようにも感じられ、それを読んでいただいたということに恥ずかしさではない、妙な喜びを感じてそわそわとした。
これからはエッセイを書こう、小説は書けないと感じていたのだけれど、また小説を書きたいという欲も静かに湧いてきた。エッセイは自分のことを書くけれど、やはり自分であるので、小説の方が、私の考えや感情の本質を取り繕うことなく、漏らすことができるのである。夜の仕事も辛い時こそ、どのように言葉で表現しよう、どんな風に書いてやろうと考える。