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あれって宝の山だったのかな

ぼんやり、あっちいったり、こっちいったり、雑記。

行事ごとは苦手意識がある。
行事とは言えずとも、何周年記念とかもその類いになる。

そんな風に思うのは、そのとき「だけ」では?、もしくは、そのとき「強く」思うのでは?なんてことが頭をよぎって、「その時」が過ぎても、ズレてもいつも思ってる、と思いたいからだと思う。

行事はともかく、生死の絡むあれから〇〇年とかは尚更だ。先日もあった。震災から何年とかの式典やイベントだ。

意見がないわけではなく、咀嚼するように、一見押し黙るようにして物体としての動きが止まってしまう。例にもれずじっとしていた。じっとして思い出すことがあった。
その前に、烏枢沙摩明王の話だ。以前に読書感想で紹介した気がする以下の本に、その話の記述がある。思い出す限り要約すると、

家の中に神様が集まったとき、烏枢沙摩明王は遅れてきてトイレの神様になった。なぜ遅れてきたのか。それは金銀財宝の荷物をたくさん持っていたから遅れてきたのだとか。そんなわけで烏枢沙摩明王はトイレにおられ、トイレ掃除をするとその恩恵が受けられるかも知れない。

とかなんとか書かれていたように記憶する。

汚れを取り、綺麗にしておくことで、金銭的に豊かになれるのか。そう考えると掃除対象になる「汚れ」は取りがいのある宝のようか。

ここで話は戻り、震災の避難所のトイレを思い出す。発災時は、洋式は水がないせいか使用不可。和式も水が流せないが、とりあえず、ハコとして使用は可。ただ、文字通り、汚物のハコだ。水分は蒸発する。しかし固形の人糞のみは、ハコいっぱい山のように重なる。今思えば、ハコからはみ出して用を足そうとした形跡がなかったのは、人間がやった証ではないか、と想う。あふれ出たものは除きすべてハコに入っている。そこには、人が人たるゆえの尊厳を垣間見るかのようで、感動すら覚える。

ただあれが、「宝物」か?

あれが?



後日、清掃のバキュームが来た、と避難所で一報が入ったとき、一部歓声すら上がったような記憶がうっすらある。

それから、たびたび地震や災害、戦争を含めニュースを横目に、日常のつらいことがつらいと感じるようになり、もちろんそれを何かと比べて易いものだとはまったく思わないのだけれども、

明日、トイレの扉を開けて、あのハコをみないでよいのなら、なんとか虫の息でも、息はしておくか、くらいには思う自分がいることに気づく。

そのとき、やっぱりあれは宝物だったのではないかと想う。息をつなぐモノになったからだ。そして、たくさんの息をしたくても息ができなくなった生き物からすれば、息をつなぐ、命をつなぐ要因となるモノは「宝物」のはずだと想うからだ。

金銭的から様相は違ってきているが。



各自治体に、こうしたマズローの心理学の第一段階の欲求を満たすようなことの準備を、働きかける何か、例えば署名や、そうしたことを実施するよう働きかけをしているボランティアや政党などを応援するのは悪くないと考える。たくさんの箇所で明日震災になれば尊厳を奪われる状況が長期間になるだろうところはあるだろうと思うからだ。レイプなどの問題もあるから避難所のプライベートの確保の準備も然り。


ぼんやりとした頭の持ち主が、これらの類を思い出すとこれだけのことでも、しんどくなるなあと感じる。文は半ばなところがあるけれども、今日はおしまいにする。


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kiko
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