未来に愛情はあるか?
人道支援に関心があり、アフリカでそのようなことをしている団体のインターンシップを経験した知人がいた。
現地でみた光景は、あまりにも生々しくグロテスクで痛々しかったと。将来そのような仕事に携わりたくてやってきたけれど、メンタル的に実際にやれるか分からなくなった、というような話を、その知人の友人から聞いた。
その友人もまた、そのような支援に携わりたく懸命に努めていたのだが、私もやれるのかと思う、と言葉にしていた。
必ずしも直接その仕事に関わらなくても間接的でも充分ためになるし、自分が健やかでなくなるものをやるのはどうだろうと思った…
いくらでもやり方はある、とも。
そのまま伝えた。
後日、「分からないこと」は、こんな風に見ると、案外悪いものでもないなと感じた。
自分のこととなると、わからない色々に周囲を回られると、もやもやイライラ、なんとも不快な感情が出るし、良いものでないと捉えることが多いのだが。
仕事でも学業でも、その道で、分からない、迷う、戸惑うは、案外悪いものではなく、むしろ、目線の違う誰かからすると、なんだか素敵な感じに見えてくることもあるのだ。なぜかは、、わからないけれども。
経験を素直に受けとめて応えを出そうとする姿勢が、素敵に映ったからかもしれない。未来に愛情がある感じがする。
それから、私は、どんな仕事でも、代わりはいると思っている。適任者と言おうか、時代を超える場合もあるだろうけれども、解決できないとうんうん唸っていたあんなことや、こんなことも、次世代のひとたちなら、とって代わってやれることがあるように。
それまで、誰しも悩みながらも歩み続けていれば、未来の何かに必ず繫がっていくと思っている、ことが分かった。
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