INFJ的男女の友情
こんな題名つけたけど
INFJなんて関係ないのだろう。
でも、共感力という意味では
私の考え方の端々にINFJ味はあると思う。
私は男女の友情が成立するかしないか
そんな質問自体が間違っていると思う
だって、男女の友情をたもったまま死んでいった人と
男女の友情が壊れ何かしらの発展があった事実をもったまま死んでいった人の2択しかないからだ
当たり前すぎて何を言っているのだろうと思われるかもしれない
いや、当たり前なんだけれどもこの論争をする人には
この当たり前の前提がない気がするのだ
男女の友情が成立した人と成立しなかった人の決着は死ぬまでわからない。
だって、今現在までは男女の友情が成立していた人も明日どうなるかなんてわからない。自分がそう思っていても相手がどうかなんてもっとわからないのだから。
友情成立派(今まで発展したことがない)が集う会の意見は当たり前に男女の友情は成立する結論になるし、
成立しない派の集いは当たり前に男女の友情は成立しない結論になる。そして、それぞれが集えばその2択で多いに盛り上がることができるのだ。
つまり、この論争の結論はその事実があったか、なかったかでしかない。
それでも度々飲み会でこの話題が出てくるには理由があると思っている。
その事実があったかなかったかを表に出さずしても、その人が人付き合いをどのようにしているのか垣間見ることができるからではないだろうか。
私は両者に共感できるが、好きになる人の論調がある。
それは、友情成立派の語りだ。
彼らは人付き合いが上手い。
性別を超えて人間として人と接する。
当たり前に2人きりになるし、
当たり前に一線は超えてこない。
性別を越えて人を愛すから、
その分愛される可能性を秘めている。
一方で成立しない派は、
出会った瞬間からどちらかに人を分けているような気がするのだ。可能性がある人との人付き合いはよく、可能性のない人とは深く仲良くなることはない。
お気づきだろうか。
もうこの時点で私の男女の友情は成立していない。
成立する派を好きになっている時点で、
彼らの派閥を壊滅の危機に追いやっている。
もはや、下心ありきで出会う男女の方がハッキリしていて清々しいのではないかとさえ思い始めてしまう。
そうだ
こういうやつがいるから、この論争が発生するのだ。
冒頭に戻ろう。
この二項対立は間違っていない。
いや、間違っているか否かではない。
人間の本能なんて結局はさるで、動物で、ほかの生物と何ら変わりがないのだ。
もっと言えば、二項対立の結果は重要ではない。
この話をしているこの時間がきっと1番楽しいのだ。
INFJ 理事会成立する派をぶっ壊せ会会長 kiko
#なんそれ
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