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ホッとする日曜日

 仕事を始めてから、土日や祝日がお休みだという感覚がすっかり無くなりました。職場では閉館日である月曜日と、月に一度の日曜日だけは皆平等に休むことが出来ます。

 私の場合は特例ということで、オーナーの方との最初の面接の時に「他の学生さんたちとは違ってあなたはmature(ポルトガル語ではmaduraと言います。彼女は言葉を選んでいますが、要するに年寄りということですね)だから、隔週毎の日曜日に休んで良いということにします。でも周りの子達から『なんであなただけ特別?』と言われてしまうから、別の週末に余計に働いてコンペンということにしましょう」とのことで合意に至ったのでした。

 そして昨日の土曜日。私が明日休むと知ると「あなたの休みは29日なのに(そうなのか!)なんで明日も?」早速来た来た。説明したけどわかってくれたかな。厳しいマネージャーさん(40歳くらいか)も、「自分はいっぱしに仕事が出来るようになるまで、休みなど自分から頼んだことなどない」とか言っていました。

 スッタモンダの末の念願のお休みの今日。(厳密には手放しでお休みというわけではないですが。)息子と電話やCATVのオペレーターのお店に出向く予定でしたが、電話で交渉してひとまずOKということだったので、荷解きの続きを孤独にしていました。引っ越しして一週間、生活していくために整えることがまだまだ色々あるのです。荷物の方は引越し直後よりはずっとマシになったと思いたいものです。(理想にはまだほど遠いですが。。)

引っ越し以来初めて見た陽の入りの様子
午後5時半、真ん中の小さなビルの上の太陽がみるみるうちに沈んで行きました


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 ブラジルの昨日、土曜日は独立記念日で祝日でした。サンパウロの日本領事館からいただいたメールで、この日の午後2時、パウリスタ大通り(領事館を始め、私の職場、サンパウロ 美術館、私たちが結婚式を挙げた教会、ライブハウスのBlue Noteなどが集まるオフィス街の目貫通りです)にて、元大統領がマニフェストをすべく支持者を集めているので、厳重に警戒するようにとのお知らせがありました。

嵐の前の静けさ?

 姿は見えずとも、サックスでジャズスタンダードやボサノバを奏でるミュージシャンの方がいらして、仕事中もリラックスしていたのですが、いつになく警察の車がたくさん出ていました。

 職場はパウリスタ大通りの始まりにありますが、支持者達が集まるのは通りの終わりに近いサンパウロ美術館周辺とのことでした。一時は館内にそんな集団が流れ込んでくることも⁉︎との緊張も走りましたがそんなことはなく。カナリア色のシャツ姿の方が若干多いくらいとの印象で実に平和な祝日でした。

 私の仕事ぶりは相変わらず亀の歩みです。でも、ひと月も勤めればなんとなく職場の内情も分かって来たかな、という感じ。貢献するとまではいかずとも、出来るだけみんなの足手纏いにならないようにと努める日々です。まだまだお叱りを受けることが多く、凹む日々。21歳女子もやっぱり素っ気ないです。(ポルトガル語ではgrossaと言います。娘で慣れていますが。)

 お客様からの「記念に一緒に写真を撮らせて!」とのご要望は今も続いています。自己分析した結果、日系人ではなく日本から来た日本人が珍しいからなのかな?ということになりました。

 一昨日の小さなお客様は5歳くらいだったでしょうか。「僕の名前グスターボを日本語ではどういうの?」とのご質問。「名前はそのままよ」と言うと、「じゃ、Carrinho(車)は?、靴は?」などと矢継ぎ早に。最後はご家族と撮影会となりました。メモ帳に日本語で名前を書いてあげれば良かったかな。ちょっと後悔。

 昨日のお客様(中学生とお母様)は直球で「あなたは韓国人ですか?」(とは初めて言われました)と。「日本人ですよ」と言うと、どう言う経緯でこの国に住むことになりましたか?」と。「学校のアクティビティでインタビューに来たの?」と訊くと「僕たちはピアウイ(Piauíブラジル北東部の州)からの旅人です。僕は日本の文化や慣習にとても関心があって、日本人をとても尊敬しているんです」とのお言葉でした。記念撮影の後は日本語でご挨拶もしてくれました。

 どちらも商品の販売には至りませんでしたが、とても素敵な出会いでした。他の販売員の子たちもこんなことがあるのでしょうか。目にしたことはないのだけど。。

 そのほかには、24年住んだアパートの住人ご夫婦や、夫の元上司(20年ほど前に勤務先の会社の社長さんだった方)の奥様にもお声をかけていただきました。「私はあなたのこと、知っているわ、ほらパウロの......。」そうでした。私はすっかり失念して失礼しましたが、奥様はお医者様で、幼少時に息子がお世話になったこともあったのでした。皆さんこれまでのことをご存じで、お悔やみのお言葉をいただいたり、励ましていただいたり。短い会話ではありましたが、ジーンとくるひとときでした。こんな出会いにも、夫が導いてくれたのかな。


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 私がこのnoteを続けていられるのも、こちらの読者であった夫の励ましがあったからです。「書くことは続けなさい」。。今や遺言のようになってしまったその言葉で、私はなんとか前を向いて歩み、こちらにも留まりました。やはりその時々だからこそ溢れ出る想い、言葉はあると思うし、彼のためにも書き続けよう、そう思ったのでした。

 また、不義理を重ねる私のところに読みに来てくださる皆さんがいらっしゃる。。感謝の気持ちでいっぱいになります。ブラジルの親しい方々も、シェアをすれば翻訳をして記事を読んで下さっています。時々様子を知らせて、と気にしてくださってとてもありがたいことです。

 夫もまた、文字で家族へのメッセージを残してくれるひとでした。引っ越し荷物や遺品の整理をしながら、ついつい手を止めてそれらに見入ってしまいます。まさに時空を超えたメッセージ。


 明日もお休み!Wow!時間を気にせず眠れるし、毎晩悩まされる脚の攣りからも解放されたらいいなぁ。



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