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私について

体調不良と妊活のために仕事を辞めて、上手くいかないまま、夫の海外赴任に帯同して、オランダで3年暮らし、現在はアゼルバイジャンのバクーに住んでいます。子どもなし、無職です。今年、父が亡くなった年齢と同じになってみて、自分のできないこと、まだ到達できないことに焦燥ばかりこみ上げますが、それでも。心の中に、結晶のようなものが少しづつ固まりつつあるのも感じています。今日は、その話をしましょう。

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専門は、開発援助とロシア地域研究です。修士号(2つ)取得。職歴は転々としていて、緊急支援のNGO職員からキャリアを始めて、政界では日本の政策決定の最前線も立ち会えたし、なぜかかキャリアチェンジして金融系外資通信社にいたことも。再び援助の世界に戻って、しばらく政府開発援助関連の業務に携わる公務員をしていました。

大学院は、英国とオランダ。赴任した国はこれまで10カ国。途上国や紛争地域が多くて、いちばん心に残っているのは、ルワンダ。また行きたいのはウズベキスタン。キャリアの殆どは海外もしくは国内の英語環境なので、最後に日本の政府機関に勤務したときが、いちばんのカルチャーショックでした。使用言語は、英・露・日。

自分のキャリアには、いつも理想と現実的な実行プランがあって、そのためには努力は惜しまなかった。こういう企業、組織、職種で働きたいという具体性よりも、大げさだけれど、世界がこうあればいいという夢を持っていたので、(それは良くも悪くも果てしなくて)やりたいこと、やってみたいことがたくさんあって、本当にキリがない。いつも上を見て、そのために頑張って、の繰り返し。十年があっという間でした。

そういう仕事中心の生活から一転、海外駐在の仕事の多い夫と結婚したのをきっかけに、また自分の体調が悪かったこともあって、仕事を離れて夫のサポートに回ることが多くなりました。海外赴任の時は彼についていくので、どうしても自分のキャリアは途切れるし、行った先でもヴィザの関係で就労は難しいし、駐在員の妻というのもいろいろ役割しなくてはいけなくて、なんだか「自分が犠牲になってる」と悶々とする日々。妊活も上手くいかないし(仕事ほど自分の裁量でなんとかなることではなかった)、ほんとーうに、自分が空っぽな気持ちになって、潰れそうになりました(というか今でもなる)。

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それでも。

特に、華々しい転機もなく、めざましい啓示を得たわけでもないので、何の参考にもならないかもしれないけれど、毎日毎日、淡々と日常の生活を繰り返す中で、私が気づいたのは、「私は今日を生きている」ということでした。思い返せば、学生時代も、仕事をしていたときも、私はいつもいつも、ちょっと先の将来を見据えていて、そのために頑張って頑張って頑張って来た。仕事の達成感や充実感のアドレナリンで、その頑張りも楽しくて、また頑張っている自分も好きだったけれど、いつもいつも今ではない少し先を見ていました。現在を見ていない。今日この日というのは、未来の下積みのために存在するのではなくて、かけがえのない、この瞬間だけの時間だということ。そのことに気がついたのは最近です。

仕事は好きだったけれど、いつの間にか、ひとから立派と思われる組織にいて、こんなに頑張っちゃってる自分すごい、を自分への自信に転化していただけでした。仕事をやめて、バリバリ働いてきた昭和のお父さんたちが退職後に感じた空虚感を疑似体験したわけですが、私の、素の一個人としての充実感や幸福を、ちゃんと見つめていたい。隣の芝は青いので、今でもお母さんとしての圧倒的な責任と存在感に熱烈に憧れていますが、他者からの評価ではない、自分の幸福を突き詰めてみたら、私にとっては、それは今日を満足して生きることでした。

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そうしたときに、個人的な例ですが、うちの場合は、自分の仕事と夫婦の同居が天秤にかかってしまうのですが、私達にとっては、一緒に生活して、毎日一緒にごはんを食べて、他愛もない話をする、そんな時間が幸福なので、別居はしないことにします。そうなると、自分の仕事に制限がかかるのですが、うんと突き詰めたときに、私が「自分のキャリア」だと思っていたことは、「他者からいただく立派な評価」だったことに気が付きました。私のキャリアの核は、「世界がこうだったらいい」だったはずですが、いつの間にか「こんな重要なポストに就いてこんなプロジェクトをやっている自分」にすり替わってしまっていました。

もちろん大きな組織の責任ある立場は、動かせる力も、それによる社会へのインパクトも大きくて、それをやりがいとして報酬されるのですが。

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私は。ゴールデントライアングルで少数民族の女の子たちと毎日文字を勉強したのや、赤ちゃんの子守をしながらサイザル麻を編んだのや、アボカドをもいで食べながら元ストリートチルドレンの男の子たちと夢の話をしたのや、そういう温かな個人的な心に繋がりに、胸が熱くなる人間なのでした。本当は、それがいいのでした。

私の「今日」を生き生きとするのに必要なことは、好きなひとと過ごして、自分が信じることのために力を使って、ちいさな個人的なネットワークを大切にする。そんな些細なことでした。

これが最近の私が見つけたクリスタル。あとはこれに、最近見出した、クリエイティブな表現、をもう少し追求していきたい。自分がこんなに、絵を描いたり、ものを作ったり、料理をしたり、に自己表現を発揮できるとは知らなかったから。

最後に。この絵は、ルワンダの孤児院で一緒にアートセラピーを行っていた画家の親友エマ贈ってくれたものです。

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「この、ボートを漕いでいる人々の、先頭に立って脇目もふらずに漕いでいるのが、環だ。まさに一心不乱、前だけ向いている。そのくせ、きみは自分がどこに向かっているのか、実は解っていない。でも大丈夫。周りには、友達や、家族やたくさんの人がいて、そういうみんなに囲まれて、きみは温かな明るい色彩の中にいる。だから安心して漕ぎ続けていいのだよ。たとえ行き先が解っていなくても。」

そうだ、私はただ漕げばいいのでした。

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岡田環/Tamaki Okada
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