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哲学的思考をレゴシリアスプレイメソッドで支援する

 苫野一徳先生の『はじめての哲学的思考』を読んでいる。

 苫野先生この本の中で、その研究を通じて得た哲学の「奥義」や哲学を楽しむためのワーク「超ディベート」を提案している。

 「超ディベート」は「共通了解志向型対話」とも名付けられている。

 これは、対話と言いながら、相手の意見を帰謬法でひたすら否定したり、答えが出ない問いを出して「人それぞれだね」と着地させ、結果とて何も生まないような時間を作らないように設計されたワークである。

 帰謬法は議論そのものが目的の人が使うものなので、そういう人に付き纏われたくない人は以下の記事を読んでおくとよい。

超ディベートのステップ

 この「超ディベート」は次のステップで進む。

①対立する意見の底にある、それぞれの「欲望・関心」を自覚的にさかのぼり明らかにする。
②お互いに納得できる「共通関心」を見出す。
③この共通関心を満たしうる、建設的な第三のアイデアを考え合う。

苫野一徳『はじめての哲学的思考』より

 ある問題の根底にある、それぞれの「欲望・関心」こそ議論の出発点であり、その「欲望・関心」をもっていること自体は、否定し難いものである。 

 「欲望・関心」がなければ、自分がどうそれに向き合うかがわからないので、意見自体が生まれない(「無関心」という場合でも無関心である理由(別のことに関心があるから)は必ずあるものだと考える)。

 また、「欲望」というと非常にネガティブなイメージを抱く人もいるかもしれないが「このような社会をつくりたい」とか「〜とは〜であってほしいと思っている」といったような理想についての言明も含まれる。

 いずれにせよ意見の裏にある「欲望・関心」を明らかにしたのちに、どこがお互いに重なって受け入れ合えるかを明らかにするのが「共通関心」である。

 そして「共通関心」が明らかになれば、その「共通関心」に基づき、最も良い方法を考えていくことになる。

 例えば、死刑制度の存続・撤廃についての哲学的「超ディベート」ならば、死刑制度に対する各参加者の「欲望・関心」をはっきりとさせる。
 どちらかを否定するのではなく、これは全員が受け入れられるという「共通関心」を明らかにする。そのもとで、いまとることのできる最も良い制度的な改善は何かを探るということになる。

 もちろん簡単ではないが「賛成 or 反対」で最初から分断状態にして、どちらか一方の意見のみ採用するよりは哲学的には優れているということである。

レゴシリアスプレイメソッドと超ディベート

 この苫野氏の「超ディベート」の考え方を読み、レゴシリアスプレイメソッドを使えば、よりスムーズな対話ができるのではないかと感じた。

 まず、参加者があるテーマについての自分がどう考えるかをレゴブロックでモデルで表現する。その時の問いかけはクローズドな問い(先に決められた回答候補から選択する)にするのではなく、オープンな問い(自分で回答内容が決められる)ことがポイントである。

 そして作ったモデルについて各自が説明をする。お互いに相手の考えを理解できるようにモデルについて質問をしていく。このとき、最終的に「欲望・関心」が見えてくることを目指してモデルの表現について質問したり、その表現に関連することを話してもらうようにする。

 これは、ステップの「対立する意見の底にある、それぞれの「欲望・関心」を自覚的にさかのぼり明らかにする」に対応している。

 全員がモデルの説明をし終わったら、各参加者は自分のモデルの中で「これだけは譲れない」と感じる最も大事な部分のみを抜き出す。
 そして最も大事な部分をお互いに示し、それらの部分を使ってどのようなモデルを作れるかを探すのである。

 それぞれが持ち寄った欲望の核を持ち寄り、共同で一つのモデルを作るのである。それは「共通関心」モデルであり、そのモデルの説明は「共通関心のストーリー」となる。
 もちろん、モデルとストーリーの作り方によっては、参加者の納得度は低くなるかもしれない。そんなときには、最も納得度の低い参加者に「なぜ低いと感じるのか、どうなれば納得度を高められるのか」を語ってもらう。
 他の参加者はその提案を受け入れられれば良し、そうでなければ提案を受け入れ難い理由や別の提案を語ってもらうというように進んでいく。

 「共通関心のモデル」ができたら、再び参加者にその「共通関心」を前提として現状の制度や対応をどう改善できるかについて話してもらう。いきなり話してもらってもいいが、各自のアイデアをモデルで表現してもらうのも悪くはない。「共通関心のモデル」と各自の「改善活動モデル」のどう関係しているのかについて、ブロックのモデルがあった方が視覚的に指し示しやすいからである。

 以上のやり方について、私は実際に試してみたことはなく、今回、本を読みながら考えてみた段階である。いずれ機会があれば、実際に試してみて、レゴシリアスプレイメソッドを使った哲学的思考ワークとして成立するか試してみたいと思っている。

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