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レゴシリアスプレイメソッドにおける正しさのあり方とは

 経営学、そのうち、意思決定や計画、戦略策定の多くの議論においては、「最適解である」、言い換えれば最も「最も合理的である」判断を目指すことは、暗黙の前提となっている。

 レゴシリアスプレイ・メソッドでも戦略策定や意思決定の問題を扱うことが多い。

 レゴシリアスプレイメソッドでは、社会構成主義的な世界観に立っている。そのような世界では、誰にとっても正しい共通の基準や、解に至る手順が客観的に存在するわけではない。
 その世界は、人々は、お互いに見ているものや解釈が異なる可能性が十分にある世界である。絶対的な基準が存在しないため、人々はコミュニケーションを通じて世界についての意味を共有しながら、「正しさ」を作り上げていく。一度打ち立てた「正しさ」も、他の人が加われば崩れてしまう可能性が出てくる。常に「正しさ」を作り直していかねばならないのである。何が「最適なこと」なのか何が「合理的なこと」なのかについての判断も同様に人々の間で決められていくものとなる。

 そこにおける「最適性」や「合理性」が保たれている状態は、人々が考えていること、知っていることを全て場に出さないと辿り着けない。誰かが意図的に「情報」を隠したりすれば、そこに生まれる解も異なり、最適解からは離れてしまう可能性が高くなる。また、時間と共に新たな情報が入ってくることもあるだろう。入ってくる情報によっては、問題に対する解釈が変わり、「最適解」や「最も合理的な判断」は覆ってしまうこともあるだろう。

 また、この世界においては「正しさ」を一方的に作り上げ、それを「最適で合理的なこと」として他の人に押し付けることはできるが、受ける人々が「解釈を曲げて」行動に移すことも、つまり面従腹背も容易でいくらでもできる。本当に「正しさ」を機能させようと思うのであれば、全ての人を尊重し等しいものとして扱いながら、関わる人全員で「正しさ」を追求し、つくりあげていかねばならないのである

 上記のことは、会社組織などにレゴシリアスプレイメソッドを持ち込んだワークショップをするときに決して忘れてはいけないことで、参加者によく理解してもらいながら実施する必要がある。
 権威主義的だったり、客観的な合理性が存在し、その観点から人によって判断力の高い人と低い人がいるというような世界観を持つ組織にレゴシリアスプレイメソッドを持ち込む時には、その世界観の差に、よくよく気をつけなければならないということでもあるのだ。

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