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眠れない夜。本を読む夜。自分を嫌いになる夜。

この頃、夜に眠れない。

眠たくて仕方がなくて布団に入るのに、横になると眠くない。

昼寝をしないように日中はコーヒーをたくさん飲んで起きているけど、夜はそのカフェインで眠れない。

思えば、読書をするようになってから、よく眠れていない。

2週間前ふと思い立ち、今更ながらkindleデビューしたのだけれど、これがとても良い。

今のところ、遠藤周作の「海と毒薬」、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」、石田衣良の「池袋ウエストゲートパーク」を読んだ。

人体解剖、虐殺、ギャングの抗争。

どれも人が死ぬ、暗い話。

でも学べることが多い話で、すごく面白い。

こんなにも良い本を読んだのに、「すごく面白い」としか形容できない自分が嫌になる。

気が向いたらまた感想などを書こうと思う。

もしかしたら、kindleのせいでスマホに見入り過ぎているのが、不眠の原因かもしれない。

眠れないでいると、夜中に無駄なことを考えてしまい、とても落ち込む。

すごく自己嫌悪に陥る。

就活で、嫌と言うほど「自己分析」をしたけれど、結局就活で見せる「自分」なんて、全て見せかけのもの。

本当の自分といえば、

周りを動かすリーダーシップもなく、グループの中心でいられる人望もない。

かといって、一匹狼で異彩を放てる才能も創造性もない。

全体を俯瞰する客観性も判断力もなければ、主観的な意見すら確立していない。

どこを切り取っても凡の凡なのに、何者かを目指す承認欲求だけは人一倍。

こうしてnoteを更新するのも、承認欲求を満たしたいからかもしれない。

こんな自分のことを認められないから、「私の魅力をわかってくれる人がいない」「みんな、見る目がない」とほざく。

あたかも「自分に自信を持った自立した人」「相対評価を気にしない人」という体を持つ。

周りが抱くであろう私への批判を先回りして予想し、見せかけのポジティブさでそれを回避する。

でも、実際には、私がこうして他人の目を嫌というほど気にしていることは、周りにバレている。

自分が体現する「自分」と、本当の自分がすごくかけ離れている。

私は、どこで何を間違ったのだろう?

なんでこんなことになったのか、ずっとわからない。

「夜と霧」の中に、こんな一節があった。

わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」

私の人生と、収容所を生き抜いたフランクルの人生と重ねるなんて烏滸がましいことをするつもりはない。

でも、「抜け出すことに意味がある生に意味はない」。

今すでに生きているのだから、この苦しみにも何か意味があるはずだ。

そう考えられたら、成長を遂げられる。

この考え方に、どこか前を向かされた自分がいた。

自分を嫌いになっても、この嫌悪には何か意味があるのだと思う。

成長するための。誰かの役に立つための。

もう朝の6時だし、そろそろ寝ることにする。



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