既知を語るは易く無知を語るは難い
最近、私含め既知を語ってばかりで無知を隠そうとする人が増えた気がする。
ネット社会、奇抜な情報ばかり耳に入る。本質的な事はすっ飛ばして面白い部分だけ自然と記憶することになる。いわゆる雑学的な知識ばかり知っている状態の人が多くなってきているのだ。
面白い部分だけ知るだけでも脳の報酬系はドーパミンを出してくれる、本質的な小難しい話を勉強せずとも脳に快感が得られるのだから雑学知識ばかりつくのも納得だ。
さて、雑学知識をみんながつければ誰かが語る雑学を知っているという状況が起こる可能性が高くなる。そうなると決まって「その話知ってる」と自慢し出す輩が現れる。そうすると今度は「みんな知っているのに自分一人が知ってるように振る舞うのはおかしい」と考える人がでてくる。これは知識を持っていれば持っているほど個体として優秀と評価されやすく、自分の遺伝子を持った種を残すのに有利であるからして、既知を語る事は一人だけ抜けがけをしてポイント稼ぎしているということなのである。
昔からこういったことはあったが、インターネット社会が高度になって既知を語る知識の浅い阿呆が増えたと感じている。その阿呆に私が入っているのは非常に残念なことだ。能ある鷹は爪を隠すというが隠さない方が有利になることもあるという一例だろう。私も薄っぺらな知識をひけらかして見事に知識人として見せる事に何度も成功している。私は嘘以外はからきし(嘘に関しての知識も怪しい所がある)なのだがネットやテレビの情報を語るとすぐに知識のある人に見てくれる。
さてはて話は脱線したが私が主張したいのは無知を語る機会が無いために学びの機会を失っている人がいるのではないかということ、要するにプライドにより無知を語れずに結局聞く機会を失っている人が大勢いるのではないかということ。無知を、人より貴方より私は劣っていますと言うことの難易度がアップしているのではないかと私は思っているのだ。みんな知っている、私は知らない、なら聞こうとはならないのが現代を生きる可哀想な生物たちの思考サイクルなのではないだろうか?
私もパソコンで編集を学ぶ時に知恵袋で質問した時に「そんなことも知らないのか」と言われて聞くことを忘れて怒りそうになった。ネットで無知を晒すのは勇気がいるが無知を晒した先に学びがあるのだから無知は悪じゃない。だから無知をもっと語って欲しい。
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