詳細性
例えば、嘘をつくとする。その嘘がバレてはいけない嘘だったとして、どの場限りのデマカセばかりではバレてしまうのは自明の理である。
これがなぜバレるのか、簡単である。その場限りのデマカセばかりではいつか筋が通らなくなるのだ。
小説を例にとってみると読者としてあなたが小説を読んでいたとしてキャラクターの言動がおかしいと違和感を感じて場合によっては読むのをやめてしまうだろう。そのため小説は綿密な調査のもと書かれる。人によってはプロットの作成に何十時間と費やし人物の背景やそれに基づく性格、言動、好きな食べ物に至るまでストーリーと関係ない所まで作りこむのである。実際には存在しない登場人物たちをさも実在するかのように見せるために、
ではこれを嘘に当てはめるとキャラクターは自分とその周り、背景はできている。綿密な調査は場合によっては必要だがほとんどの場合いらない、残るはプロットである。
そう、嘘をつくときはプロットを作りこむことによって事実だと誤認させるのである。
誰かに対して嘘をつく前に架空の状況でかつ違和感のない状況で自分たちを動かす。ここは嘘の基本の講で書いた嘘3の本当7の比率が重要となってくる。
例えば浮気をしていたとして昨日誰とどこに行っていたのかと問われたとして、あなたが昨日全く行ってもいないところに一人で行ったと嘘をつけばバレる可能性は高くなる。
もし財布の中にレシートを残していたとすれば一巻の終わり、そこから芋ずる式に嘘が掘り起こされることとなるのである。
そういうことを避けるためにも行った場所や人数といった嘘をつく必要がない点についてはなるべく本当でストーリーを組み立てるといいだろう。
そして、ストーリーを組み立て終わっていざ実践となった時に問題になるのは話し過ぎることである。
人は嘘を人に話すとき話し過ぎる傾向がある。こうすることによって一時的な落ち着きを得るのだが逆効果なのは言うまでもない。
大切なのは自分からは話さないことである、もし自分から話すということをすると必ずボロが出るからだ。
話すときは聞かれたことだけを話し、聞かれていないことに関しては喋らないということを意識して喋る、これでバレない嘘がつけるのではないだろうか。