穴のあいた味覚
人は嬉しい時にものを食べれば美味しく感じるし、悲しい時にものを食べれば味がしない。心身相関というやつで味覚の感じ方が違うらしい。ご飯の味がしなく感じるのはご飯を栄養補給としか思っていない時も同じだ。私は基本的に食事を楽しむのは三食のうち一食ぐらいで残りは栄養補給だ。
ところが最近は三食とも栄養補給になりつつある。
というのも私は私の相方に美味しいものを教えるためにものを喰らっていた節がある。美味しいものを教えて相方に合うか合わないか、また、私の馬鹿舌で感じた味の感想と相方の肥えた舌の感想を話し合うのも好きだった。私が感想を言うと大抵馬鹿舌と言われて「これはもっとこうだから」と相方の舌で感じた感想を聞くという流れになる。そんな何気ない時間が好きだった、だから味わって食べる回を設けていた。
時に変なものを一緒に食べその経験を共有したりもした。虫やシュールストレミング、ブラッドソーセージに鮒寿司、へしこなど多くの人が顔をしかめるようなものだと聞くが私たちはそういったものに挑戦するのが好きだった。特に鮒寿司は私の好物になって度々用意しては食べていたのだが、普段食べる一般の鮒寿司よりグレードアップした高めの店舗の鮒寿司を用意した時のこと、それを一緒に食べていた時に「普段のと同じような味じゃない?」と私が発言したことで私が食べ物の感想を言う度にこの話を持ち出し馬鹿舌と馬鹿にされるようになった。それは不快になるようなものではなくイジリとして機能していた。
さて、食事の楽しさを教えてくれた相方であるが最近突如連絡がつかなくなりそのせいで私は塞ぎ込んでしまっているなと思う。
食事は取らねばならぬから取るけれど、取らぬでもよいなら取らないだろう。
相方と食べた値段高めの塩むすびを食べながら無気力な生活を回して終わらない生活をしている。