
人魚の眠る家
人魚の眠る家を読んで。
一通り読み終わった後の不快感。
私の知り合いは「感動した」という。
私はただ、ただ気味が悪かった。
小学生の頃、小さい人形を抱いたおばちゃんが毎日公園に来て人形に話しかけていた。私が友達に「あの人何してるの?」と聞くと、「昔子供を亡くしちゃったらしい」それを聞いて、人形を子供だと思ってるんだと当時の私は納得した。それと同時に不気味なものを見てる感覚になった。その時と同じ気持ちで本を読み進めた。
いつの日かの日記で
まだ半分しか読んでないんだけど、
自分の大切な人が”脳死”判定されたらどうする?
ドナーカードに無記入だった場合、親族が最後の決定を下す。
私だったら延命治療を選びたい。
でも、金銭面的な問題で脳死判定を受け入れてドナー登録をし、大切な人の一部が誰かの中で生き続けてくれるなら、ありなのかなって判断を下しそう。
延命治療は自分の自己満でしかないのかもしれない。
この本を半分まで読んでその感想が出た。
私が脳死側だったら、一刻も早くドナーにしてほしいと思う。
私の26年間使った臓器でよければ、誰かの命に繋がるなら受け入れられる。実験体は嫌だけど。
今思えば、お酒も飲まなければよかったな。綺麗な肝臓なら誰かに揚げられたのに。
たばこは吸ってないから肺は綺麗だね。
貴方は、ドナー登録してる?
きのこは保険証に毎回記入してるよ。
と書いた。
全部読んで意見が180度ガラリと変わると思わなかった。
後半の描写が狂っているからだ。
母親のやる事が気味が悪い。
自己満でしかない。自己満でもないのかもしれない。
何かに取り憑かれてるに近い。
この行動に「感動する」って言っているのか、何に対して感動したのか知りたくなった。
私の感覚が違うのだろうか?
私は人の死は「心臓が止まった時」と思っていた。
でも、心臓移植後は誰かの体で生き続けるから、死んだと言えないのだろうか?
何が死なのだろうか。
正直、ものすごく考えさせられる物語で私は好きじゃない。
読書は2時間で終わるものなのに、この話は色々考えてたら何時間もかかった。
他の人の感想も読んだりしたけど、さらに謎に包まれた気がする。
何を伝えたかったのだろうか。
映画もあるんだけど観てみようか迷う。
見てみたら追記します。