言霊ってあるよなぁ
自民党総裁選色々な政策が挙げられてる中、夫婦別姓について思うことがある。
YouTubeなどで色々な意見を聞いて夫婦別姓にするのに反対している声の中に、「家族の絆」が弱まるという事が言われていた。
賛成派の人は、姓なんて家族の絆に関係ないと言う。
独身の私にとって、どちらでもいいとも思って軽く聞いていたが、やっぱり意外と心理的影響はあるような気もする。
最近のドラマでも、母親が亡くなり父親に引き取られることになった子供に苗字を変えるかどうかと話しているシーンを見た。
子供の頃って、自分の家族、親戚、苗字や名前について考えたりする事が多かった気がする。
考える、、、というか意識する事かな。
離婚率が昔より高くなっていたり、共働き夫婦が多いので夫婦別姓の方が便利なのだとは思う。
子供がいない夫婦、作らない夫婦もいるしね。
でも同じ苗字になる、ということは結構意味がある事なんじゃないかなぁと。
気持ちの上で大きく変わることのような気がする。
まぁ、今回は選択できるという法案なので、その通りそれぞれ好きにしたらいいのだが。
ただ、推進派の人の意見が、同じ苗字だからって家族間の絆に関して特に関係ないような意見を聞くと、ちょっと違和感を感じる。
私は独身だし、それによる面倒も幸福感も味わった事はないが、子供の頃から好きな人の苗字と自分の名前を足してドキドキした昭和の子供時代も過ごした。
夫婦別姓とは全く関係ないが、前にいた職場で「名前」について集団的にとても心理的効果があったことがらを思い出す。
本国がロンドンにあるジャパン社に勤めていたのだが、ロンドン本社にとても厄介な日本人がいた。
日本人だから、ジャパン社のことに細かく口を出してきて、どの部署も辟易していた。
どの部署もAさんが、、、と何を決めるにもそのロンドン本社の日本人の事を必要以上にジャパン社のみんなは気にしていた。
それくらい色々口を出されていたからなのだか。
会社にいないのに、毎日Aさんがそこにいるような感じだった。
でも私の入社の2ヶ月後に私の上司が入社してきてから、その上司は「Aさんが」といっさい言わなかった。
「ロンドンが」「本国が」という言い方に変えて、「Aさん」とは口にしなかったら、他の人たちも「ロンドンが」「本国が」と言うように変化していき、「Aさん」の面白いことに存在感が消えた。
日々その名前を言うたびにとても圧迫感を感じ、Aさんは遠い海の向こうにいるのにジャパン社の中でかなりの存在感があったのが、不思議なことに名前を言わなくなったことでそれがなくなったのだ。
確かに全体の空気が変わった。
言葉を変えたことで、それまでは「Aさん」に向けて仕事していたのが、ちゃんと本国に向けてという意識に変わったことで、不必要な感情が消えた気がした。
言霊ってあるんだなぁ、、、と思った。
選択的夫婦別姓。
今の時代の流れ的には利便性はいいだろうけど、こうやって少しずつ小さな変化を重ねて、時代が変わっていくんだろうな。
言霊、言葉には意味があって、名前にも意味があって、その使い方で色々と変化はあるのだと思う。