No.3|なぜ学び続けるべきなのか~その本質的な理由 - 後編
学び続けることにもう一つ重要な意味を付け足すならば、バイアスに囚われずに思考するためだ。偏った見方をしていては、正しく事実を捉え、生産的な議論をすることができない。
人はそれぞれ、独自に培った色メガネを使って世界を認識している。世界は情報で溢れかえっており、全てを処理することは土台不可能で、普段私たちは欲しいと思う情報だけを抜き取ることで効率的に生きることができる。逆に考えると、見たいと思わない情報には誰もが無頓着になりがちだ。自分のバイアスがどこにあるのかを自覚していなければ、一部の事実だけを切り取って判断していることに気づかない。
特に最も危うい行動は、"認識せずに受けている恩恵は、過小に評価してしまい、知らぬ間に傷つけてしまう"ことだ(——それは親からの愛が良い例えなのかもしれない。)認識をしていないのだから、自身の行動の結果に気づきようがない。
普段当たり前すぎて意識にのぼらないけれども、何気ない生活の中で私たちは様々な恩恵を受けて生きている。
・平和であること
・選挙権があること
・生存権があること
・教育を受ける権利があること
・労働に関する権利があること
・表現の自由があること
これらは先人達が命をかけて勝ち取ってきた恩恵の一部だ。今でこそ当たり前に感じるが、これらの権利が認められているのは人類史上ほんの最近の、一部の国での話に過ぎない。先日『民主主義、少数派』にと報じられた。ひとたび破壊されたならば,再度取り戻すことは容易なことではない。2020年のアメリカ合衆国大統領選挙は、民主主義の根幹である選挙制度を揺るがしかねない問題に発展し、社会に多大な軋轢を残す結果となった。
そんな数ある恩恵の中で、現代人から特に忘れ去られた存在が”自然からの恩恵”だ。
・きれいな水や空気
・安全な食べ物
・紙,木材,燃料などの資源
・暴風や洪水による被害の低減
・保水機能,干ばつ防止
・気候の安定化
これらは、あまりに当たり前に格安でサービスを受け続けられたせいで、私達の感覚は麻痺しきってしまっている。"井戸が枯れるまで、水のありがたみは分からない"、という格言があるが、それが現実になろうとしている。持続不可能な形で利用されているにも関わらず、事態の深刻さに気付くことが難しい。(コロナ後になって、初めてコロナ前の平和な暮らしを認識できる、と書くと、なんとなく腑に落ちるだろうか。パンデミックの発生は以前から警告がなされていたが、発生前に対策が取られることはなかった。)
恩恵を当然と捉える人は、欲望に歯止めがかけられない。常に不足を感じ、不足を別の何かで満たそうとする。この40年で野生動物は58%減少し、生態系の中枢を担うサンゴ礁は、近いうちにほぼ絶滅する恐れがある。人類全体の消費はとっくに限界を超えているにも関わらず、常に飽くなき消費を求めている。
日本にいると、普段の生活スタイルが地球環境を破壊している事実に気が付きにくい。それは、日本が食糧の多くを海外からの輸入に頼っていることにも起因している。食糧の生産は基本的に自然破壊であって、牛肉1kg を生産するのに、その約20,000 倍もの水を必要とする。日本は食糧の輸入を通して、海外における環境破壊とつながっている。
かつて、人類が地球に与えられる影響は微々たるものに過ぎなかった。けれども、世界人口が約80億にまで増え、科学の発展が進み、人類の影響力がますます大きくなっている。かつて1972年にローマ・クラブによる「成長の限界」の中で、"100年以内に地球上の成長は限界に達する"と警鐘を鳴らされた。しかしその警告は未だに活かされないままになっている。
世界は無数の見えざる恩恵で成り立っている。私たちは、それを失う前に気づかなければならない。これ以上社会の土台を破壊してはいけない。
現実を正しく認識する!そのために学ぶのである。
▼マガジン(全12話)
twitter:kiki@kiki_project
note:kiki(持続不可能な社会への警鐘者)