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私の自己肯定感がちょっと育った話

お久しぶりです。ききちゃんです。少し日が空いてしまいましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。私は自分の書きたいことをある程度書き終えたこのnoteを推しに読まれていることが先日のズームお話し会で判明し、大変アセアセしています。読まれて困ることは書いていないつもりなのですが、面と向かって読んだよ〜と言われると照れてしまいました。オタクに優しい推しが大好きです。(読んでる〜?)

さて、次は何を書こうかなと思った時にそういえば私、自分のことを、私ブスなんで…と自虐することが明らかに減ったなと感じました。なんでだろうと思って色々考えてみた結果、頭が混乱してきたので文字に起こしておこうと思います。タイトルの通り、この記事のテーマは私の自己肯定感がちょっとだけ育った話です。

きっかけはなんだったのか

一番最初の記事でお話ししたのですが、私は本当にネガティブで自分に自信がないです。今も自信があるかと言われたら返答に困ってしまいますが、昔の自分と比べたら自信はある方だと思います。きっかけがなんだったのかと言われると、色々思いついたのですが、1番は何もしていなかった自分から、毎日自分に自信を持つために何か行動を起こせるようになったことが大きいかなと思います。昔の私は、私なんて…という言い訳をして何も行動を起こしていませんでした。怠惰だったんですね。どうせ私なんか、やっても無駄だし、とかそういう思考しかなかったなぁと思います。詳しい気持ちの変化とかは大学4年間で行なった様々なことを書いた美容卒論みたいなものを読んでいただければと思います。ざっとかいつまんでお話しすると、人間になりたかったんですよね。何もしないでいるより、何かしたいと思ったからです。なかなか言語化出来ないのですが、とにかく自分を変えようと思ったのです。

結局見た目が大事でしょという話から言葉による呪いの話

人間に価値をつけるとして(つけてはいけないと思いますが)例え話として考えた時に、やはり最重要視される点は見た目だと思います。
初対面でその人の心の内が見える人は多分いないと思うし、いたら大変生きづらいと思います。だから私も含め、初対面の人と会う時は見た目、印象を重要視していると思います。私の大好きなアイドルが、見た目が好みでなければその人を知ろうと思わないと番組内で発言して物議を醸したことがありました。その通りだと思います。
ただ、私はその見た目に全く自信がありませんでした。とにかく自分は可愛くない、人より劣っている、醜いとずーっと思ってきました。他人からそう言われたこともあるし、あの子は可愛いけど…あなたはそうね…面白いわね!とか明るいわね!とかそういう無理な褒め言葉(今思えば褒め言葉なのかと疑う)を言われてきた私にとって、私が可愛くないこと、醜いことは当たり前のこと、一種の呪いみたいなものになっていました。自分以外の人からの言葉なのにすごく怖いですよね。いつの間にか自分以外の誰かの言葉に呪われてしまっていたんですね。

こういう経験からもやっぱり結局見た目が大事なんじゃない?と思うわけです。でもこれは捻くれた考えのような、結局顔でしょ?とかそういうことが言いたいんじゃなくて、別に他人軸の可愛い顔じゃなくてもいいわけです。自分以外の人からの言葉の呪いは自分で解くしかないんです。理不尽だよなぁと思います。言葉を放った人が責任を持って呪いを解いてくれるわけじゃないんです。むしろそういうことの方が少ない。言った方ってすぐ忘れちゃうんですよ。小学生の時、私をブスだと言って笑っていた同級生たちはみーんなそんなこと忘れています、きっと。私という存在すら忘れていると思います。そういう人たちの言葉に縛られて生きていくことが嫌になりました。

私は私が愛したいと思う人になりたい。そう思っています。そのためには、自分の呪いとなっている言葉たちから自分を救ってあげる必要があると思います。その方法は人によって様々だと思います。私にとっては、私好みに私の見た目を変えることでした。

私の好きな私

これは私の場合なので参考程度に読んでほしいのですが、私にとっての言葉の呪いの根源はやはり見た目のコンプレックスからくるものでした。それは顔はもちろん、スタイルも含みます。外見と言えばいいのでしょうか。この根源が何か、によって自分を救う方法が違ってくると思います。勉強ができない自分が好きじゃないとか、運動ができない自分が好きじゃないとか、人それぞれ多種多様の呪いがあるはずです。私の1番の呪いは見た目だったということです。
だから私は大学4年間かけて人間になるべく色んなことをやってきました。ダイエットに始まり、メイク、イメコンなどなど。どれも私が好きな私になるための努力です。私が好きな私ってなんなの?ってことなんですが、これも私の場合という一例に過ぎませんので参考程度に読んでください。
私の好きな私は、私が可愛くてたまらないと思う私、つまり自分の理想の私です。
私の理想は顔はもちろん可愛くて、体型はマシュマロみたいな白くてむちっとした女の子らしい人です。具体的に言うとキリがないのですが、やっぱり目は二重で大きい方が好きだし、まつ毛も長くてぱっちりくりんとしているのが好きです。顔は小さく見えた方が好きだし中顔面は短い方が好き。ウエストはキュッとしてるけど出るところは出てるスタイルが好き。でもやっぱりふわふわのもちむちな感じも残した方が女性らしいから(私基準で)好き。まだまだたくさん理想の私がいます。理想の私を少しずつ形にしていくこと、その努力をすること、これが私の自己肯定感を少しずつ育てていると思います。

もう他者に振り回されるのは辞める

自己肯定感という言葉は最近よく耳にします。自己肯定感を高めよう!みたいなブログとか書籍とかそういうものもよく見ます。ただ私はそれらを真似するだけじゃきっとダメなんだろうと思います。それも結局他者の言葉になってしまうから。私のこのnoteも読んでる人からしたら他者の言葉です。ふーんこの人はこうだったんだ、へー、ぐらいの気持ちで読んでほしいなと思います。

他者に振り回されるのを辞めると書いていますが、私も未だに他者の基準で生きているんだと思います。人にどうこう言える立場ではありません。ただ昔より、何もしていなかった自分より他者の物差しに囚われることなく物事を決めることが出来ているなと思います。私の自己肯定感が育っている証拠だなぁとしみじみ思います。大人になってからの自己肯定感の高め方ってすごく難しいと思います。今まで他者から受けた呪いや自分で植え付けた考え方をほんの数日でごっそり取り換えてしまうことはおそらく不可能だろうと思います。だから少しずつでいいです。私もこんな安っぽい言葉でnoteにして語っているけど今でも自分の嫌いなところの方がたくさん挙げられるし好きなところを聞かれても正直答えられません。でも昔と比べて今の方が多少の生きやすさ、息のしやすさを感じます。
辛くなった時の合言葉として、私を救ってあげられるのは私だけ。と唱えています。もしよかったらこれを読んでくれた方もやってみてもらえると嬉しいし少しでも気持ちが軽くなったら嬉しいです。

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