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『介護士K』久坂部羊著


「助けられる者は助ければいい、助けられない人を助けようとするところに煩いが生じる。あるがままを受け入れるとは、そういうことだ」
医療にも介護にも言える言葉だと思った。
高齢になり、施設に入所した利用者の多くの人が死にたい死にたいということはFacebookの介護グループの書き込みでもたびたび出くわす。
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有料老人ホーム「アミカル蒲田」で入居者の転落死亡事故が発生し、ルポライターの美和は虐待の疑いを持ち、施設の周辺調査をはじめる。聞き込みののち虚言癖のある介護士小柳の関与を疑うようになり、深く追求していく。
そんな中、第二第三の事故が発生する、という筋書きだ。

この小説は去年の5月に発刊されたカドカワの「小説野生時代」に『老園の仔』というタイトルで第一回目が掲載されている。奇しくも著者久坂部羊氏の対談相手がノンフィクションライター中村淳彦氏であったことから私は知ることになり、これを読んでいた。

久坂部氏は現役の医者である。彼の論調はきれいごとをぶち破るもので、長生きなんていいことがない、死ぬことにもいい面がある、と強調する。
寝たきりで苦しくてつらくて情けなくて、という人を本人が気が付かないうちに葬ってあげたら本人のためだ、国のためだ、そして介護現場のことを考えるとそうすることがいいのだ、ということをこの小説に込めていると思える。

介護現場では虐待はあっても当然だともいう。介護士は社会的地位も低いし、給料も安い。だから優秀な人材が集まらないから、という。介護は生産性もないから、と繰り返し強調もする。

そういう現状の中、介護グループであふれるのはきれいごとというキラキラ論である。介護はやりがいがある、ありがとうと言われたらそれが報酬だ、介護は天職だと思う、と。
利用者に死んでほしいとか、もう助からないですよとか、なにをやっても無駄ですよと言うとか、そういうネガティブなことはなかなか言わない。
そして利用者のために、と自分たちを犠牲にしても構わないという人がほんとうに多い。

だから久坂部氏は介護士たちの言いにくい本音をこういう小説にしてくれたんだろうと思えた。

介護ってなんだろう、死なせる介護が理想なのだろうか。
死にたい死にたいという利用者たちに、治りますよ、と嘘をついてリハビリに力を入れることが正解なのだろうか、と考えさせられる。

冒頭の「助けられない人を助けようとするところに煩いが生じる」というのはここだと思う。介護士はどういう気持ちで利用者に向き合っているのだろうか。
本音と口から出る言葉は一致しているんだろうか。自分の気持ちを騙し騙しかかわっているのだろうか。
ここで小説の中に繰り返し出てくる「虚言癖」と言う言葉がちらつく。

私は在宅介護を経験していて今なお継続している。
介護にかかわったのは唐突だったので逃げることもできず、ただただ懸命に目の前のことをするだけで突っ走ってきた。

たまたま義父を見に行って心拍数が180を超えていることに気が付き、蘇生させたことは一度や二度ではない。

ニンゲンの本能は、目の前の人をどうしても助けてしまう。
そのときの私に他の選択肢は皆無だった。

今、高齢者による莫大な医療費で社会保障費が喰い潰されていることが問題になっている。
同時に介護現場の人手不足も騒がれている。
対策としてまずは医療現場にメスを入れ、介護される高齢者を減らすこと必要だと思わされた。

これからは「費用対効果」の医療が推し進められる必要があると思う。

「命は尊いものではない」
「命は平等ではない」
と書く久坂部氏は、
「あなたは治療を受けても治りません」こういった言葉が医療現場にも必要だと叫びたいのではなかろうか。

介護の小説でありながらどちらかと言えば医療関係者である私はたくさんのことを考え、また自分が漠然と感じていた「本能的に助けてしまうこと」に対する答えがようやく見つかったと思う。

小説の最後には意外なドンデン返しがあった。そこで新たに湧いてきた疑問に対する答えはまだわからない。もしかしたらずっとわからないかもしれない。