生きてる意味がわからない
おはようございます、kikiです。
前回は台湾生活編をお届けしました。
今回はその続きの一時帰国の時の話をしたいと思います。
鬱状態になってから帰国した2022年の年末。
日本に帰国してホッとしたのも束の間、今度はどうして鬱状態に陥ってしまったのだろうと自分でもわからなくて辛かった。
あんなに毎日楽しく過ごせていたのに何が間違っていたの?
確かに少しハイになって毎日過活動になっていた自覚はある。
台湾の田舎での生活が真新しくてウキウキしていた。コーヒー農園で植物のお世話をしたり、業務用オーブンでパウンドケーキを焼いたり、とにかく楽しかった。その反面、小さなストレスが少しずつ溜まっていったのかもしれない。
一つ大きなストレスといえば、車の運転があった。日本でもペーパードライバーな私がいきなり交通マナーの荒い台湾で運転することは単純に怖かった。滞在中の3カ月で3回車をぶつけた…。
その他、言葉の壁はやはり高く、聞き取れないこともしょっちゅうでその度に「あぁもっと中国語がうまくなったら生活が便利で楽しくなるだろうな」と思った。皆が楽しそうに喋っていて一人だけ聞き取れず蚊帳の外になってしまうこともしばしばあった。
ビザの関係上仕事をすることができなかったため、仕事が忙しい彼と何も手伝ってあげられない自分に対しても自己否定感が募っていた。
私の性格上、誰かの役に立っているってことが自分の存在価値に直結しているんだと思う。洗濯やごはん作り、掃除等自分のできることで貢献するのでいいんじゃないかと今は思えるけれどその当時の自分はそうは思えなかった。
以上の理由から3カ月の台湾生活での疲れが一気に出たのだと思う。
2023年の1月から3月まで鬱状態が続き、忘れもしない3月3日のひな祭りの日私は生きる気力を完全に失っていた。朝から何も食べず、自室から出ていかずずっと布団の中で過ごしていた。希死念慮が頭から離れなくて、生きてる意味がわからなくなっていた。市販の風邪薬を大量に飲んでこのまま死ねたらどんなに楽だろうと思った。正確な数はわからないけど60錠以上は飲んでいたと思う。薬を飲み始めてしばらくすると全身から汗が噴き出してきて(恐らく解熱効果が過剰に出ていた)やばいなと思った。家族に合わす顔もなく、晩御飯の時間になっても私が部屋から出てこないので姉が私を呼びに来た。その頃にはパニック状態になっており、過呼吸を起こしていた。姉が冷静に「ゆっくり息吸ってー吐いてー」と繰り返し、呼吸を整えてくれてようやく自分がしたことのバカらしさに気が付いた。死んだってなんにもならない。こんなに家族が懸命に支えてくれているのに死ぬのは申し訳ないと思った。結局母と姉と姪っ子が私の部屋で皆で晩御飯を食べて家族の温かみを改めて感じた。
今回は重い内容になってしまった。
次回は台湾生活に戻るまでのお話。
またね。