適応障害→うつ病
おはようございます、kikiです。
数年ぶりにnoteにログインして過去に書いた記事を読み返してみると当時の記憶がよみがえってきました。
あれから4年たった今、私は台湾で生活しています。
毎日電動バイクに乗って田舎町に住んでいます。
洗濯や料理をして家事をこなしながら、空いた時間は中国語の勉強のために映画を観たり人と話したりしています。
この4年間どう過ごしてきたのかというと、適応障害からうつ病に診断が変わったことが大きな変化でした。今も治療中で病気と付き合いながらなんとか生きているって感じです。
4年前日本に帰国して適応障害の治療が終わって安定した夏頃、それは突然やってきました。
その当時世間ではコロナウイルスの水際対策で海外渡航が禁止されていたため、私は台湾に行くこともできず、結婚や出産に関して焦る気持ちが強かったです。ちょうどその頃友人達から「子供が産まれました」のLINEが4人立て続けに送られてきました。最初は友人達からおめでたい知らせを聞いて祝福したい気持ちで「おめでとう」と返信しました。ただ3人目、4人目と返していく度に心の中でドス黒い嫌な気持ちが渦巻いてきて、どうして友人達の幸せを素直に喜ぶことができないんだろうと思うようになりました。
それから徐々に夜眠れない日が続くようになり、1か月と少しした頃には不眠症もひどくなり寝ずに仕事に行くことも増えていたため、母に泣きながら相談して心療内科へ予約を取ることにしました。
実は3月に母の友人の紹介でこちらの総合病院の心療内科の先生を紹介されており受診したことがありました。話しやすい女医さんだったので次もしメンタルの調子が悪くなったらこの先生に診てもらおうと思っていたのでスムーズに病院選びができました。
受診日にこれまでの経緯(友人の出産で複雑な気持ちになったこと)について話して、日本に帰国してからメンタルの調子が悪くなったのは初めてであることを告げると今現在鬱状態にあると診断が下りました。その当時仕事をしていたこともあり、診断書をもらってとりあえず1か月休職することに。
仕事は順調で特にストレスがかかることもなかったので、どうして友人が出産したくらいでこんなに落ち込むんだろうと自分でもよくわからない感情になりました。
休職して家で休むことに罪悪感でいっぱいになり、毎日薬を飲むことにも抵抗がありました。その頃は母も仕事をしていたので母が家にいない日は姉の家に行って一人でいる時間をできるだけ減らしていました。一人でいると暗い気持ちに押しつぶされてしまいそうになるから。母や姉には毎日私の今の気持ちや辛いことを聞いてもらっていました。涙が止まらない時もじっと見守って支えてくれました。
それから1か月が経った頃、体調も少しずつ安定して夜も薬を飲んで眠れるようになってきたので復職することになりました。仕事をすることで集中してる間は余計なことも考えなくなっていったので結果的に良かったと思います。
薬を飲みながら仕事を続けること約1年半、メンタルの波はあるけれど海外渡航解禁までの期間は比較的平穏に過ごせました。
次回は台湾生活編です。またね。