たまに死にたがり、書き散らす
一般的にはそれほど悲惨でもない境遇の私はそれでも死にたがりだ。
子供の頃は何とか大人の言うことを聞き、それでやれば出来るのかと言えば、中の下とか下の中とか下の下とか。聞き分けの良い子供は大抵不幸だ。少しとか大変とか、加減はそれぞれだが、聞き分けを住み着かせた宿主は後でえらい目に合う、と思うけれどもそんなものは人それぞれなので、えらい目の加減も知るものか。
何とか普通になろうと目立たずやろうと、群衆に紛れたく思い、間違った選択をしてきてしまったようで、しわ寄せが大きなしわとなり、既に日常生活はしわの狭間でどうにかこうにか。それでも普通の振りをしてしまうのであった。
最早なにか前向きな整った事柄には、吐き気を催すようになってしまっている。それでも人の不幸を見たり、失敗を笑うのは嫌いだ。それは多分笑われる側だから。大勢が面白がったってこちらは大変面白くない。
性善説にしがみついてしまうような、根は悪い人間ではないとは思うのだが、どこか分からぬ個性的な神経からは、そういうのが人を見捨てたり裏切ったりタチが悪いのだと、えらく速いスピードで信号が送られてくる。
自分がどうしたいかなど分からない。嫌なことは分かるようになったので、どうにかなっているだけだ。
皆案外こんなものなのかな、とたまにSNSのボヤキの数々を読んで共感したりもするけれど、本当に思い通りの相手など一人もいやしないのだから、その共感は刹那的なもので、それを寄せ集めても誰かにはならず、そこにはすがりつく瞳も頼る肩もない。ばらばらに散らばり狭い私の専用空間を散らかすばかりなのだ。
ばらばらの共感らには少し助けられると思ったりもするのだが、人間の共通点、目があって鼻があってみたいな事くらいのように思えたりもしてしまう。どうあってもそれほど好きになれない自らだけが揺るぎない。
自己肯定出来る人は幸せだ。一番幸せになれる人ではなかろうか。出来ない人は出来るように努力したとして、死ぬまでそれでやれるのだろうか。
私はそれでもいっとき、自己肯定の幻を追いかけ手に入れたつもりの時もあった。しかし芯が違うと全く違う。私の外郭はおぼろ豆腐のごとく脆く、豆腐の角でだって死ねたのかもしれなかった。と思いきや、しぶとさだけは一級品、酒に弱くタバコも吸わず、社交界から逃げるのが上手いので、ストレスもたぶん頑張っちゃう人よりはほぼ無いに等しく、長生きを約束されている。生きていたくない私の理想は、死に近づくにしたがって段々と美しくなりピークを迎えた頃に死にたい。そのような病があればいいのに。特別な能力もなく空気を吸って吐き、歩く時もたまに右左と調子を取らなければ動けもしないのだし、その位の恩恵を是非いただけないものだろうか。
ではどこか神聖そうなところでパンパンと柏手を打ったりするのかというと、それは心情として出来ない人間であった。この概ねぼんやりとしている私は、宗教や占いの類のものだけは嫌悪していた。今でこそ、人それぞれじゃないみたいに中庸なことを述べたりするのだが、歳若い頃はそのようなものに傾倒する人間のことを、心の底から軽蔑していた。
アルバイト先で少し話すようになった男性がいた。その人は「女の人って占いの話ばっかりしてるよね」と言った。私が「しない」と言うと心底驚いた顔でこちらを見た。
その人は幽霊の話ばかりしていた。仕事の合間に、近くの横断歩道の交通事故で人が死んだ話や、幼い頃にされた怪談話をしてくるのである。私が近所で起こった殺人事件や、死体遺棄事件を披露すると、ものすごい集中力を発揮して話を聞いているのがわかった。そんなに聞きかじっているのなら慣れたものかと思いきや、その人はとても怖がりで、話し終わると恐怖に怯えた目でこちらを見返してくるのであ った。
そのアルバイト先では化粧をしないと決めていた。こういう決断は最初が肝心である。おかげで楽ちんなことこの上なかった。どちらにせよ接客業でもないので、清潔感さえあればなんだって構わないのである。
ある日、気分転換に化粧をして行った。その幽霊好きは私の顔を見てビクッとしていた。驚いたのだろう。その後話しかけてこなくなってしまった。
若い頃は化粧にハマった。ほんの少し別人になれるからだ。化粧品ばかり載っている雑誌を読み漁り、新製品など目当てに仕事帰りに、デパートの売り場に通いつめたものだ。男性に化粧品の値段を教えると目を丸くして驚くことが多い。その直後、原材料の価格やパッケージとイメージ戦略について、とうとうと話が止まらない。私はそれをその通りだしわかっているけれど、と一応は聞く。どうせそのような講釈を垂れてくるなら、その化粧品を使った私を観察して、どんなに変化がないかとか証明写真でも用意して教えてくれた方が面白いのにと思う。
化粧品ではないが、マツエクによって変化するまつ毛の長さと値段を聞いてきて、やはり目を丸くして驚いてきた男性がいた。彼はビフォーアフターの写真を見せてきて、マツエクをしない方が良いと言った。私はしている方が良いと思い、その意見は却下した。
どの道マツエクはその後しなくなった。しばらくは気に入っていたのだが、通っていたサロンの女性の接客が嫌になってやめてしまった。そのサロンで付けるマツエクはとても長持ちし、しかも施術料金が激安であった。だからと言うわけなのか、というのがしっくりくる感じの悪い接客であった。ネットのクチコミでも同様に感じた客の、評価の低い書き込みがよく見られた。
彼女の感じの悪さを気に病んで、すっかりそのサロンに行きたくなくなってしまった私は、他のサロンへ行ってみた。天使のようなにこやかな微笑みで接客してくれた、可愛らしい女性が付けたまつ毛は、その日のうちにあらかた取れてしまった。そこのサロンはやり直しなどしていないようだったので勉強代と諦めて、以降のマツエクも諦めてしまった。