既存パターンにハマれない件(結婚・恋愛・こども)
ここ数年あるいはずっと悩んでた、わたしのおはなしです。
それは結婚や恋人との在り方、もといわたしの在り方についてです。
取り止めもない私見である事を、ご了承ください。
結婚や恋人の形
わたし自身、結婚、恋人という名前や形にあまりはまれない。というか、向いていないと自覚し始めた。
好きな人は束縛したいけど、程よい距離が必要。
自分の生きたいようにすると、どうも結婚や恋人という形に座っていると居心地が悪くなってしまう。それはわたし自身が“妻はこうせねば”とか、食事は“主菜、副菜、汁物“を用意せねば!なり、恋人なら“こうして欲しい”とか“こうあらねば”と自分も相手も縛ってしまうからである。
ちなみに、かつての夫も恋人のような人も、ご飯は作ってくれるし、できない時は休んでてと言ってくれる、わたしに家事を無理強いする事は殆どない(それなのに、だ)。
かつて夫だった人も、恋人のような人も、付かず離れずになった時ようやく無理せずにいられるようになった気がする。
自分の中の決めつけを無くせたら、離れなくても済んだのかもしれない、とも思う。でも自分の無自覚の既成概念こそコントロールが難しいのであった。
一人でこどもをつくりたいのに
こどもに関しては、ずっと悩みの種だった。
いろんな可能性を考えて怖すぎて、つくらない選択をしてきた。結論もそうだ。
かつての夫とは、プライベートな空間では2人きりでいたかったのもあり、邪魔するものは不要だった、というのも理由の一つなのだ。
でもいっとき真剣に、こどもの成長に関わりたい、育てたい。わたしにもこどもがいても良いのかも?と真剣に考えた事がある。
適齢期が大幅に過ぎて、最終決断しようと色々な可能性を考えていた。
精神的にも以前よりも成長したし、自立できている…そうだ!ひとりでつくって育てよう!なんだ、それなら相手のことを気にしなくて良いじゃん!と、その時のわたしは意気揚々と意気込んでみた。
しかし、調べてみても自ら望んで片親から始めたい人を守ってくれたりなんらかの助成をする制度がなさすぎて、そして分からなすぎて、制度的に難しくね?となった。
ひとりでつくれないもん
さらに、ひとりではどう頑張っても作れないから、誰の子にしようかなぁと…第一関門が。かつての夫、恋人らしき人、友達の3択までは行ったが、それぞれに相談してみたものの好意的ではあったが、なんか難しいなぁと諦めてしまった。
ちなみに、恋人らしき人以外との着床に関しては医療機関で体外的に行うイメージだった(それも本人たちには伝えた、そしてたまに遊んでやってくれ、とも)。
誰の子でも良いわけではなく、信頼してる相手がもちろん良い。信頼している相手としか営めないし、営みは特定の相手である方が良いと考えている。だから、信頼はしていてもかつての夫とは医療機関を通じて体外的に行おうと思っていた。
結局、結婚してなければ(相手の同意は)難しいのかよ!とやさぐれた。
ひとりで育てづらい世の中
ひとりで産んで育てる場合、金銭的にも体力的にも厳しくなる。結婚という制度や家族という在り方は良いシステムだと思うが、ハマれない人には苦痛でしょうがない。ハマれなくてもこどもを作りたい人や違う家族の形を選択した人たちにも同等の制度があってもいいと思う。
財力がなければ産み方も、育て方も自由に選択出来ない。
選択する自由は今のところないのだ。
自由に産ませてくれよ
財力が足りてなくても、体力がなくても、サポートするパートナーや親族がいなくても、産む性を持った人間が、産みたい!と思った時に安心して産む事が出来たら素晴らしいのになと思う。
社会的サポートがあれば安心してつくれるし産めて、育てるのも安心出来て、孤立もせず、こどもにもストレスをぶちまけないで済んだら、少子化にもなりづらいと思う。
そもそも不安でしかないし、不安で作れないのに。
出産は誰もが命がけだし、赤ちゃんも母体も守るために働けなくなるから(育児休業がちゃんと手厚く保証されれば別だけど)安全な返済不要の経済的な援助を受けられる制度がもっとあっても良いと思っている。
どのような家族の形であれ、働きながら育児をするためのサポートは、想像以上に必要なのだ。
だって、命そのものを育てるんだもの。
授かった後に色々な立場の変化もある、そんな誰しもが、守られて、相談しやすい場所があって、いろんな行政のサポートがあれば。極論、犯罪も起きないと思う。
安心して育てたいだけなのだよ。
自分の在り方について
今年で40。35くらいから、自分の生きやすやを選択して後悔のないように生きようとほんわり考え始めた。
わたしが出したなんとなくの軸はこちら。
あれ、けっこうあるな。
だいたいこんな感じなのだ。
あとがき
今回は、初めてnoteで私的な話をしました。
女性である事、社会的な目、謎の既成概念による無意識の重圧。などなど気にしがちなものは、取り敢えず気付かなかった事にして、これからも立ち止まって、足元を確かめ、自分の声に耳を傾けて、自分を裏切らないように、大切にしていきたいと思います。
周りの人々や物事も同じように愛せるように。
既存パターンにハマれなくても、色々考えた結果、憧れはするけれど。そのパターンにハマりたい訳ではないな、と毎回思うのです。なので闇雲に周りに合わせようとせずに、そうやって客観的に捉える事ができる今が、一番しあわせなんだとしみじみします。
締めくくりに、まとめの言葉をおくります。
▼わたしの生死感について話してる記事▼
写真家のウィトキンについてと、自身の経験に基づいて、“死に囚われ過ぎない事”について話してます。自分の記事の中でもお気に入りです。
▼好きな音楽、本、映画について、創作したおはなし等がメインです▼