四季#1
彼は、気持ちを整理すべく路頭に迷っていた。
至極単純で、至極全うな選択だったのであろう事を誇りに思いたかったが、そこに含有された切なさを考えると、到底彼には太刀打ちできないような悔しさ、悲しさ、その他多くの感情が押し寄せ、酩酊した、放浪の獣のような存在へとなりかけていた。
彼にとって、感情は他者のために存在していると信じて疑わなかった。
想いを打ち明けられた彼は、寄りかかるべき感情を失い、やっとの思いで運命を断ち切るまでに、彼の数ヶ月が無駄になっていた。
否、無駄だと言い聞かせることで助かったのである。
ふと、公園に立ち寄ると、そこには自身の身長を遙かに上回る金木犀が誇らしげに香りを放っていた。
秋が舞い降り、冬の香りすら漂わせるそれに、彼は陶酔していた。
春を迎え、夏を過ごし、秋を憂い、冬を想う。
そんな一過性の循環を共に過ごすのだと誓っていた彼は、いずれ迎えうる侘しさから目を逸らし、ただそこに居る客観的な「彼」という存在に、今目を向けている。
「香り」とは、記憶と密接に連関して脳に直接作用する奇妙な現象である。
彼にとって今この場に立ちこめる甘い誘惑は、彼の全てを体現していると言っても過言ではなかった。
会う度に共有されていた記憶。
それを失ったという事実から、記憶から目を背けるということは、彼にとって到底理解しがたい苦労であり、「痛み」として滞留していた。
何時間の時が経っただろう。
彼は公園の金木犀にすがるように、果ては崇めるように見上げている。
感情の如何を忘れ、ただ一点を見つめ、そこに何か人生の全てを解き明かすような不可思議があるのでは無いかという具合に、ただ見つめていた。
消えた人生をたどるように、彼は歩き出した。
そこにいる自身が、どのような存在として周囲に映っているのかが判別できず、本来の自分を失っているような気がしていた。
主体と客体を切り分けるのに必死だった。
自分自身と「彼等」を分かつことが、こんなにも大変なのかと驚いた。
華々しい香りに切なさを感じ、ただ一人自身だけが周囲とは違う世界を歩いているようだった。
歩く度に舞う艶やかな幽香が、訪れる冬を告げていた。