ある船乗りの物語
ー船出ー
ある秋の日。日曜日の午後、2時42分。
ひとりの船乗りが海に出た。
ちいさな船だった。海に流れ落ちる雨粒ほどにちっぽけな船だった。船乗りの身体もまた、ちいさく儚く、無力だった。薄く柔らかい皮膚に微かな吐息。動物の本能をコットンで包んだような危なっかしさを身にまとった生き物は、生命を維持するだけで精一杯のように思われた。
海に出たはいいが、船はこれっぽっちも進まない。船乗りはオールの握り方すら知らなかった。岸の近くで、先輩の船乗りたちに教えを請うた。
彼らは言った。
「向かい風が吹いても、ただ真っ直ぐに、前を向いて進みなさい。うそをつかず、帆をピンと張って。一番星が輝く方向に」
と。
ちいさな船乗りと食糧と不安と、わずかばかりの期待をのせた船は、ゆっくりと岸から離れた。
ー船を漕ぐ日々ー
来る日も来る日も、船乗りは船を漕ぎ続けた。ちいさな手にオールを握り、水をかく。帆は使い方がわからず、ただの飾りのように思えた。邪魔だったのですぐに畳んだ。一日に進む距離は、たったの数十メートルだった。
うしろを振り返れば、遠くに海岸沿いの街がみえる。育ててくれた船乗りたちが、今日も淡々と働きお金を稼ぎ、飯を食い、眠る場所。
あの街がみえる限りは安心だ。
船乗りは惑いが生じるたびに、海を隔てた懐かしい街の風景を心に描き、その土地で暮らす人々のことを想った。
郷愁と、慕情と、後ろめたさと、疎ましさと、身勝手と。船を漕ぐたびに感情の渦が海に混ざり、泡となって漂い、一部は跡形もなく消えた。
海は日々、めまぐるしく変化した。
透き通ったエメラルドブルーに見惚れる朝もあれば、空までもを飲み込んでしまいそうな漆黒の深さに恐れおののく夜もあった。大小さまざま、色とりどりの魚たちと会話し、空に悠々と舞うカモメたちといっしょに歌い踊る午後もあった。
沈みゆく赤い夕陽を目の前に、視界がぼやける日もあった。
船の上は、いつしか大事な居場所になっていた。
ー嵐の夜にー
ある夜、嵐がやってきた。突風が吹き荒れ、激しい波が船を襲う。船乗りは必死に柱にしがみつき、冷たい雨に濡れながら嵐が収まるのを待つほかなかった。
寒さと恐怖で肩が震えた。さすってくれる人はいなかった。
うしろを振り向くと、どこまでも黒い海がそこにはあった。船乗りは初めて淋しいと思った。孤独だった。暗い水の底に、身も心も沈んでいきそうだった。
私は今、一人ぼっちだ。暗くて広い海に、たった一人。
「絶望」の二文字がふっと視界をよぎっては消える。足がすくんだ。その場にうずくまった。なすすべもなく夜が明けるのを待った。
今にも壊れそうな、ちぎれそうな心を根っこの部分でつなぎとめたのは、船乗りの身体を巡る温かな血であり、だれかの言葉であり、名前だった。
ーピンクに染まる帆ー
朝が近づいてきた。嵐はだいぶ収まったが、まだ向かい風が吹いている。前に進みたくても進めないもどかしさに、船乗りは苛立った。
「向かい風が吹いても、ただ真っ直ぐに、前を向いて進みなさい」
出発前に言われたことの意味を考える。
一体どうやって進めばいいのだろう。漕いでも漕いでも、船は同じ位置にあるのだ。後退しているようにすら思える。
向かい風に正面から対峙するのは、ほんとうに正しいのだろうか。常に正しいのだろうか。
悩んでいると、魚が水面から顔を出して言った。
「風を味方につければいいのさ。まだ使っていない道具があるだろう?」
そのとき船乗りは思い出した。「帆をピンと張って」という言葉を。
ずっと飾りでしかなかった帆。すぐに畳んでしまった帆。もう一度広げてみると、白く大きく、凛々しかった。船乗りはちいさな身体をめいいっぱい使ってその帆をピンと張った。
朝焼けのピンク色が、水上の三角形を静かに照らしている。いつの間にか、あたりは明るくなっていた。
ー広い海の泳ぎ方ー
船乗りは帆を使って前進するために試行錯誤を重ねた。太陽と月、星の位置を目印にしながら、風向きをたしかめ、帆の向きを調整する。
向かい風が吹いたときには角度をつけて斜めに進んだ。斜め方向を繰り返してジグザグに、少しずつ前に進んでいく。向かい風も、上手く利用すれば推進力に変わると知った。
ときどき失敗して後退したり、疲れて休んだりする日もあった。そんなときには魚たちと他愛ない会話をして過ごした。波のリズムに合わせて歌った。故郷から携えてきた本を読んだ。あっという間に春が来ていた。
あるとき広げた辞典に、こんなことが書いてあった。
【真帆】・・・追風を受けて帆走する船の、十分に展張された帆。
そのときやっと、船乗りは理解した。
向かい風が吹いても毅然として前に突き進むこと、風を利用してジグザグな航路をたどること、ときには帆を下ろして静かに待つこと、追い風を味方につけて加速すること。
そのどれもが「真帆」なのだと。
追い風を感じたら力を抜いて身をまかせてみることにした。航海がより楽しくなった。
ーはじまりー
春の霞が立ちこめるなか、遠くにぼんやりと海岸がみえてきた。停泊する船も何艘か目に入る。新たな世界と人に出会える予感がした。
帆の向きを調節して岸に向かう。
一番星の方向とはちょっとちがうけれど、自分の心の向きに従った。寄り道も悪くない。
白き波 霞のなかを 漕ぐ船の 真帆にも春の 景色なるかな(*)
歌を詠むと、船乗りは空を仰いだ。
帆を愛おしそうに眺め、真っ直ぐに前を向く。
岸辺から、だれかが手を振っていた。
ーあとがきー
名付けてくれた親の願いと、高校生のときに知った辞書的な意味、大人になってから知った「帆」の物理的な役割。
幼い頃から大好きだった「真帆」という名前は、年月を重ねるうちに少しずつ意味を拡大しながら、変化しながら、私になじんできました。
社会人一年目で海にまつわる仕事をしたり、現在、船関連の仕事に従事する人といっしょに暮らしていたりと、運命的なつながりも感じる名前です。
せっかくの節目なので、気恥ずかしさを感じつつも自分のために書きました。
自分をいちばん愛せるのは、やっぱり自分なんじゃないかな、と思うのです。
10月25日、午後2時42分。
真帆、誕生日おめでとう。
両親と出会ってくれたすべての人に、深い感謝の気持ちを込めて。
<注釈>
(*)下記の歌をアレンジしたものです。「真帆」を「春(=張る)」が掛詞になっています。
新勅撰(1235)春上・一六
「にほの海や霞のをちに漕ぐ船のまほにも春の景色なるかな〈式子内親王〉」
*こちらの作品で、教養のエチュード賞において副賞を受賞しました。心に残る誕生日プレゼントになりました。ありがとうございました。