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2月13日:暖かい時間
1.
すべてをさらっていくような風、風、ひたすらに、わたしの髪をなびかせおでこを見せながら自転車のペダルをふんでいる。あくびをすこしして、きっとこれはマクドナルドでポテトを食べ過ぎたせいだ。晴れた日ばかり、風が雲すらさらっていくせいだ、それから時間、時間、わたしの胸のなかにあるもの、わたしのなかに残りつづけて、形をかえつづける記憶、記憶、とうとうとかんがえて繰りかえし、tautology. わたしは暖かい空気につつまれて風のふかぬ間だけしあわせな気持ちになる。冬だといわれる日々ももう数えで、まだ寒いかな、ちょっと暖かいかな、いいやまだ寒いかな、風、ちょっと寒いかな、風、ちょっと心地いいかな。
すべてをさらっていくような風、風、ひたすらに、わたしの髪をなびかせおでこをみせながら……
2.
たぶん去年よりもずいぶん暖かいであろうこの冬も、どこか終わりを感じさせる太陽のあたたかさが身体にとどいたのが丁度今日のことだった。風ばかりつよく吹いているけれど風のふいていないときはあたたかくそろそろコートを脱いでもよさそうだと、天気予報はあいかわらずみないままかんがえていた。
ふとしたときにまた感じることがある、どこにもないと決めつけていた幸せな記憶、わたしはつねにわたし自身を戒めてきた、わたしがわたしであるためにというわけではなく、わたしはわたしを戒め殺すことでわたしはあの人に愛をしめしたこと、その日々。けして大げさなことではなくて。
母の一周忌が2月15日にあって、ちょうどこのあと実家のある群馬にかえろうとしている、わたしはあいかわらずろくでなしで、物をもとあった場所にすら戻せない始末でした。読みたい本を三冊くらいみつけて本棚からとりだしたあと開かないまま一週間放置するし、皿はあらわないし、洗濯物はいつまでも外で風にゆられている。わたしが一人暮らしで、お金のこと以外、自分のことを自分でしりぬぐいしなくてはいけなくなるまえからわたしはろくでなしだった。母に最後注意されたことはドライヤーのコードを縛らずに棚にもどしたことだった。からまっちゃうでしょ、とすこし癇癪じみた早い口調であいかわらずわたしをどやした。わかってるよ、そんなこととわたしは思ったが口にださずにいた。ごめんなさいとも言わなかったけれど、わたしをどやす母の声はまったくいつまでも不愉快で、生まれてから母がいなくなるまでずっとかわらないまま不愉快だった。なつかしくなることもない、今でも言われたら不愉快にちがいない。
些細なことに頭をもたげる、わたしは、わたしだけでなくあなたも同じ。わたしのなかでいつでもあなたが正しかったとき、わたしはあなたの言うことを疑いもせずに聞いた。わたしの言う通りにすればすべてうまくいくと、そう言っているように見えた。あなたのことがとてもバカみたいに思えて、あなたもあなたなりに考えていたのだろうけど、そこまではわたしも知るよしもなく、あなたはバカだ、どうしてこんなこともわからないのだろうと思う、やっぱりそんなこと口にしない、口にしようものならまたあなたが癇癪じみた早い口調でわたしをまくしたてるだろうから、大好きで都市伝説の番組をよく見ていたあなたの背中のうしろから、わたしもおなじように見ていた、画面で男がはなしていることは荒唐無稽なこともあったし、すこし実用的なんだろうか(まったく実用的ではなかった)偽札の見分け方を教えていた。紙幣は印刷にとても小さな細工をほどこしていて、偽札を作ろうとしたときそれを真似できないみたいなことを言っていたけど、そんなに細かいものを目でたしかめることなんてできるんだろうかなんてバカバカしい。
3.
あなたのその癇癪じみた声が、いまになればその声をだす力がどこにのこっていたのかよくわからない。あなたはいつの間にか本を買って、ギターを買って、(変な機械?も買っていたけど)あなたがいなくなってからあなたの本棚をのぞいてみたりした。星占いの本があって、写真家の旅行記があって、治療の本があって、たぶん子供の頃に読んだ少女漫画がすこしあった。わたしが知っている本はすこしもなくて、そのなかで浮いたみたいに「チベットのモーツアルト」が挿されていた。「チベットのモーツアルト」、あなたはこの本を読むことができただろうか、スピリチュアル関係の人からすすめられたのか、昔の男が読んでいたのか、よくわからないけど、ちょっとあなたが読むには難しすぎるんじゃないだろうか?
4.
このまえ日付を回ったくらいの深い夜だった、霊園をまわった。あんまりよくないことだけど、ちょっとした肝試しみたいなものだ。池袋のサンシャイン通りを駅の方からずっと降っていくと雑司ヶ谷霊園という場所がある。都会の輝かしい街並みのなかにそこだけ光を吸収するかのごとく暗闇があり、広大な霊園となっている。
都会とはいえ深夜ならずいぶん静かなもので車通りもまばらで、電車も全てでたあとで雑音といえばわたしらの話し声だけだった。街頭すらなく、狭い通路の両側にびっしりと墓が立ち並んでいる、わたしらはそこをぬけ、角をまがり、都会の光の届かない暗闇へと歩いていた。わたしらの足元をてらすのは月の光だけで、猫一匹いない、人の気配もない、ただただ静かで、わたしらはつとめて落ち着いたまま慌てないように話をつづけた。
実家の前には通りを挟んですぐに墓地があった。寝る前静まり返った墓地が窓の外から見えた、それを見て育った、だからこんな場所はもとからあんまり怖くないのだろう、それに、わたしのまわりから人がいなくなってからはいっそう怖くなくなった。幽霊なんて頭の中にはおらず、暗闇をみつめて思い浮かんでくるのは一年前のことだった。むやみやたらに話すことではないし、話す人も選んでいるのだけど、話すにつれ語り草になり、まとまりをもち物語らしくなったわたしのその記憶には、もうどれだけの嘘が混じり混んでいるのだろうか。わたしは記憶を美化するためにそのときの感情をいつわり、態度をいつわり、風景すらゆがめているかもしれない、それはわたしの嫌いなあの日の親戚たちと同じではないか、かれらが短い時間でやってのけたことをわたしは一年かけて結局同じことをしているのではないか、ただ話すことはやめられない、じつは霊園がとても怖かったからかもしれない。墓場を徘徊する老人を見た。顔はうかがえなかったが曲がり切った背筋を揺らしながらゆっくりと歩く、かれは何を考えてこんな時間にここにいる?
5.
アルバイトをやめてしまった、だからまた今日から別のアルバイトをさがさないといけない。夜遅くに終わるからわたしはそれで朝4時くらいに寝て、11時くらいに起きて、そういう生活をしていた。こんな時間に起きているから、当然教会にも行けないし、考えられない頭で読書しなきゃいけなかった。それに、学校が始まったらどちらにしろ辞めなくてはいけなかったし、これでよかったのだと思う。
教会にいって、祈る仕草をして、歌って、帰って、ごはんを食べて、そういう生活ができなくなってから、とくになにも変わることはなかったけれど、そういう生活にもどれるのならとっても嬉しいことだ。つくづくどうしてこんなにお金を稼ぐ才能がないのだろうと思いながら、わたしは予定より1日早く実家に帰ろうとした。
6.
それに、きっと猫にもあえる。