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ひとり灯のもとに
ひとり灯(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
文は文選(もんぜん)のあはれなる巻々、白氏文集(はくしもんじゅう)、老子のことば、南華の篇。此(こ)の国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。
(『徒然草』第13段による)
口語訳
一人で明かりの下で書物を広げ、見知らぬ遠い昔の人を友とすることは、とても慰められることである。
私が好きな書物は、『文選』の味わい深い巻。『白氏文集』『老子』『荘子』。わが国の知識人たちが書いたものも。昔のものは、味わい深いものが多い。
夜が長くなり、ただいま「読書の秋」が進行中です。
兼好法師のように「夜」ではなくとも、「朝」の読書に取り組む小・中学校も多いことでしょう。自分で用意したり学級文庫から手にしたりした「書物」と子らが向き合います。朝の静かな静かな時間が教室に流れます。落ち着いた朝のスタートです。SNS上の動画コンテンツなどが子らの日常に幅をきかせる現代にあって、読書をする時間は、新たな価値を持つようになったと言えそうです。
さて、
もし、子らに薦める「書物」を、と言われたら、みなさんは何をあげるでしょうか?
私が中学生に薦めたいのは、写真家・星野道夫さん(1982〜1996)がつづった随筆『旅をする木』『ノーザンライツ』の2冊です。いずれも、この時期になると、もう一度また読み返したくなって私が手にする「書物」です。そして、読む返すたびに、兼好法師のいう「こよなう慰むわざなる」の心境になります。
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私にとっての「見ぬ世の人」。その文章によって、その写真によって、私の前に現れ出るように思えるこの星野さんは、みなさんもご存知のように、18年間にわたってアラスカの大自然に暮らし、その自然と野生動物、そして、そこに生きる人びとの暮らしぶりを私たちに伝えてくださる写真家です。
この2冊の内容を、ここで詳しく紹介することはあえてしませんが、星野さんの文章は、飾り気がなく、ストレートで、人としての生き方へのヒントに満ちています。私たちが失っているものに気づかせてくれ、いつ読み返しても変わりない感銘を受けます。
『旅をする木』の中には、ドン、ロジャー、ローリー、ビルなど、アラスカでの人との出会いがつづられます。星野さんは、次のように言います。
人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。
(「アラスカとの出合い」による)
これは、人との出会いに限ったことではないでしょう。そう、「書物」だってそうなのです。あまたある「書物」の中で、出会うことのない悲しみ。そして、出会える不思議。私は、この2冊に出会えたことを、とてもありがたいことだと思っています。
また、星野さんは、次のようにも言います。
人の一生の中で、それぞれの時代に、自然はさまざまなメッセージを送っている。この世へやって来たばかりの子どもへも、去ってゆこうとする老人にも、同じ自然がそれぞれの物語を語りかけてくる。
(「もうひとつの時間」による)
「読書」もまたそういうものかも知れません。いや、そういうものです。先ほど「変わりない感銘」と書きましたが、読み返して受ける感銘は、その人生の時々によってその箇所を変え、考えることも違ってくるものです。それは、「書物」との「出会い直し」と言えます。
子らがこの先どんな「書物」を手にし、どのような豊かな出会いを得ていくか。
学校を訪問させていただくことがある折に、教室にある「学級文庫」についつい目がいってしまいます。そこに指導者から子への静かなメッセージ・願いを見てとることができるからです。
子らは、今、どんな「書物」を手にしていますか?
良書へと誘(いざな)いたいものです。
P.S.
『旅をする木』の「巻末解説」を作家の池澤夏樹さんが書かれておられます。たいへん素晴らしい解説となっていますので、ぜひこちらも。