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よし、やってみよう!

「よし、やってみよう!」
指導者なら、子らにこう言わせたいものです。

次に紹介するものは、地域でのボランティア活動に自ら取り組んだある中学生が、私に語ってくれた言葉です。

「実は、これまで、(ボランティアを)やろうとも思わなかった。でも、やってみたら、すごく楽しいし、またやりたくなった。もっとこうしたらいいともわかった。ゲームをしていた休日とはちがう過ごし方を見つけたんです。」

子らの中には、「行動をしようとは思っている。でも、できない…」という思いを持つ子らもいることでしょう。
なぜなら、自ら動き出すときには、うまくいかないことや失敗してしまうことをどうしても思い描いてしまうからです。いわゆる「尻込み」です。

「失敗」? それとも「恵み」?

ある人は、次のように言っています。

   失敗というのは幻想に過ぎない。
   あるのは、
   行動を起こしたという
   結果だけだ。     

(アンソニー・ロビンズ)

行動の先にある「動いたという事実」。
これこそが大事であって、失敗したとか成功したとかは「評価」でしかないのだと言うのでしょう。

そして、その「失敗」という評価ですら、ある人は、次のように言います。

   この世には、
   失敗もなければ偶然もない。
   すべての出来事は、
   私たちに与えられた恵み、
   何かを学ぶ機会なのだ。

(エリザベス・キュープラー)

行動の先にあるものすべては、私たちに何かを学ぶ機会を確実にもたらしてくれる「恵み」なのだと言うのでしょう。

指導者にできること

「よし、やってみよう!」と自ら動き出し、自ら経験し、自らひとつ上の自分へと成長させていくこと。
もし仮に、先ほどの中学生から、そのときの思いなどをいくら聞かされたとしても、わかるのはその半分くらい(!?)で、それでわかったことにはならないでしょう。これは、指導者からの言葉であっても同じです。
そう、例えば、ボランティア活動の醍醐味を本当に知りたければ、自分でやってみる、自分で動き出すことしかないのです。
やってみて、失敗もして、その経験から学んでいくしかないのです。

そう考えると指導者にできることは、限られています。
「よし、やってみよう!」と子らに言わせる、思わせる工夫や関わりが必要です。

指導者として、「ともにやってみる姿勢」「伴走を楽しむ姿勢」をみせるなかで、子らの「よし、やってみよう!」を引き出したいと考えます。


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