「美しいってなんだろう?」刊行記念読書会 矢萩多門 つた に行ってきた②
本
多門さんの本は紙にこだわりがある。
装丁家が本を作るのだから、装丁がすてきで当たり前だ。
「美しいってなんだろう?」この本をあけると、繊維のような文様のペーパーが出てくる。娘「つた」ちゃんと書く本だから、ツタのイメージの紙にしたとのこと。
そして次ページは真っ赤な用紙。
表表紙から中に入って、全体を見回してもそこだけくっきりと何か主張しているような赤の紙。
これは、数年前にインドで倒れて亡くなった多門さんのお母さん「あかねさん」の赤だった。
あかねさん
学校に行かないで本を読み、絵ばかり描いている多門さんの才能を見出し、導いたのは母あかねさんだ。
誰にも平等で、好奇心があり、今を大切にする人だったのだろう。
cafeオーケストラのオーナーは以前あかねさんの雑貨屋の近くに住んでいて
「ありちゃん」と呼ばれて可愛がられていたそうだ。
家にはいつも知らない人がいて、一緒にご飯を食べたり、泊まったりしていたようだ。
学校に行かなくても、親の商売を横で見て、じっくり生き方を観察し、そこに来る市井の人々と交わることができたなら、同じことを同じようにすることを求める今の学校教育と比べ、どちらが本物の教育なのか疑わしい。
今の多門さんがいるのは、多門さんを一人の人間として尊重し、育んできた人々がいたからだ。
多門さんを見ていると、「美しい」ものを「美しい」と感じる感性のある、ありのままの人間がそこにある、と感じる。多門さんの感動の波動が伝わってくる。
お母さんは偉大だ。
読書会に来て、この赤ページの重さに胸打たれた。
音読
多門さんは、読書会で自分の本を自分の声で読んでみるのが夢だったそうだ。今回「皿」の箇所を音読してくれた。
「ラジオのディレクターに声がいいって言われたんですよ」
「装丁が素敵と言われるよりうれしいんです・・・」と。
優しい声だ。読み方も本を読みこんでいる人の知性が伝わる読み方だ。
姪っ子に本を届けライン通話で30分、音読をやってみた。
私の好みの本なので、きっと姪っ子も喜ぶだろうと、気持ちが先走ってのスタートだ。「カトマンドゥ」という都市の名前も初めて聞く姪っ子にとって、字を追いかけるだけでも大変なことだ。
サイン入りの本をもらって、それは自分にとって特別なことと感じている姪っ子は、本から何かを受け取ろうとしている。
学校が辛くなっている今、何をどう受け止めてくれるのか、楽しみだ。
チャイ
多門さんが話をしてくれたのはカウンターの中、料理を作るガス台の前。
そこで、私たちにチャイを作りふるまってくれた。
カルダモンやシナモン、スパイスを水でじっくり煮て、ザラメを入れる。ミルクを入れるのは最後の方だ。
そうそうこの味。
インドの屋台で飲んだ味だ。
朝日の中、インドの屋台の大きな窯からついでもらったインドのチャイだ。
インドのあの喧騒の中で、再びチャイが飲みたい。