引っ越してフリーランスしようと思ったら転職して地元に営業してた話
投稿を再スタートしてからこの話ばっかだけど、僕は6年勤めた役場を退職した。
理由は大学当時からの彼女と同棲を始めるためで、これは役場で採用された当時から話し続けてきた。
ひとつ想定外だったのは、大学時代を過ごして彼女の実家でもある高知に行くと言い張ってきところ、彼女が昨年大阪に出てきてしまったため、僕も大阪で合流することになった。
とはいえ子育ては高知でしたいということもあり、数年で高知に引っ越そうと話していたため、大阪での生活は1年から長くても2年くらいかなと思っていた。
そのため、ちゃんと就職するのはめんどくさいなとか、せっかくならフリーランスに挑戦してみようという考えから、役場を退職するのに合わせて転職活動をするということはしなかった。
しかし、それから8か月が過ぎた11月の今日。
旅行会社に勤め、地方誘客の仕事をして、前の職場でもある地元の役場に営業をすることになった。
今回はそんなお話をしていく。
退職直前まで転職準備をする余裕はなかった
僕は役場で3年間、広報業務を担当していた。
取材、プレスリリース、広報紙の制作、SNSの運用、Webサイトの管理、WEBメディアの企画運営など、いわゆる広報業務全般をひとりで一手に引き受けていた。
職員120人程度の小さな役場ではよくあることだと思うが、それぞれの職員はいくつかの業務を複数持っており、広報業務をひとりで担うことはそんなに珍しいことではない。
そんな環境の中、僕は広報の業務をしながら転職活動をすることはしないと開き直った。
そもそも広報業務はライティングや紙面のレイアウト、SNSの企画運用、WEBメディアでは記事のディレクションなど、クリエイティブな業務であり、中途半端に副業や転職活動をするよりも本業である広報業務に打ち込んだ方が成長できると挑んだ3年間であった。
また、退職願いを提出してからの3ヶ月も、これらの業務は回す必要があり、完全に年休の消化は厳しいということは最初からわかっていたので、その中でも業務を回していけるようにと上司に相談したら「できる限り要望には応えたい」と向き合ってくれた。
相談の結果、大阪で同棲する部屋は1月末から契約して、年休消化というテイを取りながら、テレワークでできることに取り組ませてもらうことになった。
2月、3月のラスト2ヶ月は取材や情報収集などの現地での取り組みが必要な業務は係の同僚に任せて、広報紙の編集やWEBサイトの管理など、ディレクション業務に取り組んだ。
僕はそうして、役場職員としての6年間を終えた。
とはいえ広報業務の引き継ぎは難しく、いまだに引き継いだ職員さんからの問い合わせLINEが月1などで届くが、誠意を持ってお答えしている。
とりあえずバイトでもと思って仕事情報を探し始めたら、気づけばいくつも内定もらえてた
4月になり住民票を移動して、無職となった。
公務員としての数年間を終え、彼女からはちょっと猶予をもらってしばらくは好きなように過ごした。
具体的には大学時代以来の自炊を始めたり、観葉植物を買い集めてみたり、大阪の街中を自転車で走り回ってみたり、それはもう好きに過ごした。
その後、大阪生活の間はフリーランスで稼ぐ手段を身につけようと思っていたので、クラウドソーシングやSNSを始めてみようとあれこれつついたりもしてみた。
地元のスポーツ協会からチラシとイベントマップ作りのお仕事をもらって3万円をいただいたりもした。
そして4月が終わり、ゴールデンウィークに入ったタイミングで、ひとまず生活費を得るためのバイトを探そうと思い立った。
さすがに継続して生活できる収入が入ってこないのは不安だった。
フリーランスをしながら好きな映画館でバイトできたらめっちゃいいやんということで求人を探し、気になる映画館が人を募集しているのを見つけた。
ただどこかで「バイト」になることが引っかかっていたのか、ふと公務員時代になんとなく登録していた転職サービスのアカウントがあることを思い出して、気になって覗いてみた。
履歴書を入力する欄があったので、これまでの経歴を整理してみた。
また、自己PRを入力する欄もあったので、自分の強みやできることも整理してみた。
すると次の日、大量のオファーが届いた。
今思うと、これらのオファーはAIが条件をみてマッチングをした求人を出してきたものだが、このときは知っている会社名だったり面白そうな求人もちらほらあったので、これでテンションが上がってしまった。
キャリアアドバイザーにもついてもらった。
同時進行でコーチングを学んでいたりもしたので、なんとなく人材系やキャリアに関わる求人が気になって、いくつか面接も受けてみたら、人材系のベンチャー企業3社から内定をいただけた。すんなり通った。
あ、もちろん書類選考で大量のお断りもいただいた。
こうなると欲が出てきて条件のよい会社に入りたくなり、最終的に出会ったのが福祉器具をレンタルする会社で広報業務担当の求人であった。
この会社では唯一、リアルの面接をしていただいた。内定をいただいた。
そしてこのとき、さらに同時進行で話を進めていたのが、クラウドワークスで問い合わせをした「地域誘客で地方創生 体験プランを企画するディレクター業務」という案件であった。
これが現在、正社員として務めることになった旅行会社である。
地域誘客という仕事に出会って人生のコンセプトが決まった気がした
最初は業務委託の案件に応募をしたこの旅行会社だが、当時翌日にでも内定がもらえそうな状況もあり、ゆくゆくは高知への移住を考えていることも含め、面接で手の内全てを打ち明けてみた。
面接は2週間で5人。ポンポン次に進めてもらい、あれよあれよという間に採用が決まった。
社長の面接では「新幹線だから画面オフにするわ」という最初の挨拶ののち、縄文時代の思想についてめっちゃ語られた。
なんだこの会社はと思いながら、面白い気もしていた。
最初は相性を見るために3ヶ月は業務委託と言われていたが、採用されたと同時にコーチングのセミナーが実際にセッションを売っていくチャレンジ期間に入ったので、時間を確保するため確実に定時で帰ることを約束して仕事に臨んだ。
地域誘客のディレクター業は、ざっくり調整仕事である。
スケジュール、予算、タスクを調整して、計画を実行していくという役割は、公務員時代にやっていたそれとほとんど変わらなかった。
大きく変わったのは柔軟な働き方と早すぎる意思決定の過程の2つ。
正社員に向けて採用されたとはいえ、業務委託という立場ということもありしばらくは気分によるテレワークも許された。労働時間もざっくり決まっているだけなので、好きなように仕事ができた。
意思決定は早かった。こうしたらどうかという提案はその場の判断で採用され、ならそれで行こうと実行に移された。というか、期限に迫られてじっくり検討する機会はしばらくなかった。
その後(正社員として働く意思を確認する面談は9月入ってからだったが)9月から正社員となり、現在の仕事に関わり始めてから半年を迎えようとしている。
そんなタイミングで、社長を連れて地元に帰ってみた。
地元にはサウナのブランドを始めた有機農家さんや、地ビール工場を作って有機農業もやるインストラクターなど、面白い取り組みをしている人が何人もいる。
彼らの力を借りながら地元で面白いことをしたいと思い、そのことを社長に伝えたらめっちゃいいと共感してくれ、連れて行ったらいいところだと誉めてもらえた。
地元とこの社長の出会いによって、事業が産まれそうで本当に嬉しい。
社長やマネジメントメンバーとは違って、現地で仕事をする機会は月に数回あるかないか程度だが、やはり現地で人に会うのは楽しい。
特にこの仕事では、ローカルなモノゴトを取り扱うことが多いので、楽しそうに働くこだわりの強い人によく出会う。
人の自燃的なエネルギーを活用して、ごきげんな世界を作っていく。
副業のコーチングもやっとコンセプトを固め始めたところだが、そんな会社のビジョンが大きく反映されている。
僕はこれから、ローカルという世界でごきげんに活躍している人たちに会って、お互いに影響し合って生きていきたいと強く思う。
今年1年を振り返って
今年は本当に人生の転換点となる重要な1年となった。
自分のコンセプトを見つけて、人生のこれからの道筋が見えてきた気がしている。
来年は自分の名前でもお仕事ができるようになりたいと思うので、副業にも力を入れて取り組んでいきたい。ライフコーチも頑張ります。
僕は今ここにいる。来年はどこにいるのだろうか。