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カンボジアで洪水に遭ってヘリで救助された話


2011年の洪水被害

2011年、タイをはじめとするアジア諸国では、長雨によって大規模な洪水が起きた。
カンボジアも200人を超える犠牲者が出て、100万人以上が洪水の被害を受けたと報道があった。

2011年の9月、このことを知らずに同僚とカンボジア旅行に出かけた私は、命からがら逃げだすことになったので、その記録と教訓を残しておこうと思う。

洪水前夜

カンボジア、シェムリアップに到着した時は雨は止んでいた。ホテルに荷物を置き、トゥクトゥクに乗って、近所の写真館に行ってみる。民族衣装を着て写真を撮ってくれるサービスがあったので、同行した友人のNと2人で予約しておいたのだ。

楽しく写真を撮った帰り道、トゥクトゥクを再びつかまえる。雨が降り出したので2人乗りは出来ないと運転手のお兄さんが言い、一人ずつ別々に分かれて乗ることにした。

舗装されていない道路は既にうっすら冠水しており、トゥクトゥクの車輪が大きな水飛沫を上げながら進んで行く。確かに往路よりもスピードが遅いし、力も要るようだ。頑張ってくれた運転手のお兄さんにチップを渡して、その日は他に出かけることはせず、ホテルで過ごすことにした。

結果的にこのときの写真がカンボジアで唯一の観光らしい記念写真になったのだが、この時はそんなことは想像もしなかった。

雨の遺跡群

翌朝早くからカンボジアの遺跡群を巡る現地ツアーに参加した。予定では、アンコール・ワット、バイヨン寺院、アンコール・トム、バンティアイスレイを回ることになっていた。

ツアー客は10人。韓国人カップル、フランス人2人連れ、中国人家族連れ?4人、日本人は同僚N子と私の2人というメンバー。あとは現地のドライバーさんとガイドさんが案内してくれる。

夜明け前に出発、日の出時刻を目指してアンコール・ワットに到着したが、出発の頃から雨が降ってきたので太陽は全く見えなかった。石の階段は滑りやすく、幅も狭い。雨の中の遺跡群はそれなりに風情があって美しいのだが、いかんせん足元が悪すぎる。

アンコール・トムも同様。バイヨン寺院ではモヤに包まれて仏像もあまりよく見えなかった。

雨女で旅先で雨になることが多い私だが、ここまで土砂降りなのも珍しい。

シェムリアップから少し離れたバンティアイスレイに向かう途中、雨は更に激しくなった。

激しい雨で道路が冠水

バンティアイスレイを見学中、駐車場で待っていたドライバーさんが私たちを呼びにきた。予定を少し早めに切り上げてシェムリアップの町に早めに戻った方がいいとのことだった。

駐車場は冠水し始めていた。

少し残念だが、自然現象なので仕方がない。
車に乗って数分もしないうちに、フランスの人たちが騒ぎ始めた。窓の外を見ると、水位が急激に上がってきていた。

車の窓から外を見ると、後ろの車のタイヤが水に浸かっていた。

エンジン停止、立ち往生してしまう

これはまずい事になった、と思ったときには車の中に水が入ってきて、エンジンが止まってしまった。

水位は数十センチほどなのに、車のドアが開かなくなっていたので、村の人たちに手伝ってもらって窓から外に出る。村の人たちもお家が浸水したらしく、比較的水位の低い空き地に集まって来ていた。

村の人が私たちを水位の低い空き地に連れて行ってくれた。

ひとまず車外には出たものの、同行していた同僚N子は泥水に浸かったせいか、青い顔をして座り込んでいた。この空き地が一体どこなのか分からないし、町までどうやって戻れるかも分からなかった。

すると、中国の家族が荷物を頭に乗せて、徒歩で空き地から避難しようとした。村の人やガイドさんが止めたが、大丈夫だと言って歩き出した瞬間、あっという間に流された

本気で洪水の恐ろしさを実感したのはこのときだ。
呆然としていると、韓国カップルの男性のほうが英語で話しかけてきた。
ネットは繋がりますか?

私の携帯のアンテナは2本立っていたので、
はい、何とか繋がります。」と答えた。

韓国男子 J君の活躍

韓国の彼の名前をJ君(仮)とする。J君はまだ20代前半に見えたが、冷静で指示が的確だった。後から考えても彼無しでは無事に帰れなかった。韓国は兵役があるから、非常事態にどう対応すればいいのか、訓練を受けていたのかもしれない。

J君「今から言うところにメールで連絡してもらえますか?

ツアー客の国の大使館または領事館に「洪水で身動きが取れない」旨のメールを送れという。もちろん、日本だけでなく、韓国もフランスも中国も全部。

ツアー参加者の名前と年齢、性別、カンボジア滞在期間などの基本情報をまず送った。
更にJ君はバンティアイスレイを出発した時刻と現在時刻を考え合わせて、現在地が遺跡の周辺●Km以内のはずだ、という情報も冷静にはじき出してくれたので、その情報と、怪我人の有無と人数、中国の家族が流されたことも送る。

現地の警察か、軍隊に救助ヘリを出してほしいので、大使館から圧力かけてもらいましょう。

「大使館から圧力」という言葉を生まれて初めて聞いた。すごいな。何者やこの人は。

大使館からの返信を待つ間、J君は村の人達と身振り手振りでコミュニケーションをとり、空き地の隅の方の草むらを均してから流れてきた板切れで囲いを作る。即席のトイレだという。

確かに私たちはツアー開始の早朝からトイレに行っていなかったし、泥水に浸かって身体も冷えていたし、尿意を催す可能性大だった。救助がすぐ来るとは限らないし、気分が悪くなった人もいたのでトイレは非常に助かる。

村の人たちは家から持ち出したらしい食料を私たちにも分けてくれた。この状態で自分たちの方が大変だろうに、心遣いに泣きそうになりながら、唯一知っていたクメール語で「ありがとう」と伝えた。

フランス人のツアー客はせっかくの村の人たちが分けてくれた食料を「お腹を壊すから食べたくない」と言って受け取らなかった。まぁそうなんだけど、言い方ってもんがあるだろうとちょっとイラっとした。

日本の旅行会社と家族にも連絡したかったが、ツアー客全員について私の携帯が命綱になっていたので、個別に連絡すると電池の消耗が心配だった。

なので、私のFacebookに「今、カンボジアで洪水に遭い、空き地で立ち往生しています。これは冗談ではなく本当です。これを見た方は至急●●旅行会社に連絡してください」と書き込んだ。家族でなくても誰かが気がついてくれれば、必要な人に届くだろうと思ったのだ。

そのころ東京で

私の姉はその時ちょうど東京で職場の昼休みにお弁当を食べていて、何気なくFacebook を開けたら、私の洪水の投稿があって仰天したらしい。

私の投稿を最初に見つけたのが姉だったのは幸運だった。姉がすぐに旅行会社に連絡をとって現状説明してくれたので、現地の宿泊先のホテルと旅行会社がすぐに動いてくれた。

具体的には救出された後の出来るだけ速やかな出国のための手配だった。空港近辺も少しずつ水が押し寄せてきており、出国ルートや帰国の航空券を探してくれていたそうだ。

姉から連絡を受けてFacebookの投稿はすぐ削除したが、後で見たら「どうしたの⁈」「大丈夫⁉︎」などのコメントはあったが、実際に動いてくれた人はいなかったようだ。関係ない人に心配をかけただけになってしまった。

もっと良いやり方があっただろうが、その時は動転していて他の方法は分からなかった。私の場合は姉が見つけて動いてくれたが、私だったら突然こんな投稿を見つけたらどうしただろう、と後日反省した。

救助のヘリコプターが来た

救助依頼のメールから約5時間後、救助のヘリコプターが見えた。J君によるとかなり早く来てくれたとのことだった。必要な情報を迅速に、的確に、然るべきところに送ったおかげだろう。

ヘリコプターはあまり大きくなく、数人乗りのようだ。みんな早く乗りたいのは同じだが、ここでもJ君は見事な対応を見せる。

救助ヘリ。私は幸い2番目のヘリに乗れた。

最初に来たヘリは現地のお年寄りや怪我人など何らかのケアが必要な人々を先に乗せて行った。(この投稿のトップ画像が最初に来たヘリ。)

同行の同僚N子が泥水に浸かったせいか熱を出していたようで、J君がそのことをレスキューの人に伝えてくれ、私たちは2番目に来たヘリに乗せてもらうことになった。フランス人が抗議していたけど、J君が「怪我人が優先だから」とうまくさばいてくれた。

ヘリから見えた景色。茶色の水で覆われているところが多い。

私は元気だったので何だか申し訳なかったのだが、次のヘリもすでにこちらに向かっており、残った人も順次ヘリで救助されていくとレスキュー隊員から聞いて少し安堵した。J君と村の皆さんは私たちがヘリに乗る前に握手してくれ、ヘリに乗り込むと地上から手を振ってくれた。

空港へ急げ

ヘリは町の中心まで私たちを運んでくれたので、そこからホテルに連絡して迎えに来てもらった。旅行会社からも連絡があり、帰りの航空券がとれたとのことで、すぐに荷物をまとめて空港に向かう。
泥だらけになった服だけ急いで着替えたが、体を洗う暇はなかった。

そのとき、同僚のN子の付けていたブレスレットの糸が急に切れ、ビーズが辺りにバラバラと散らばった。私はこの時何故か「あ、大丈夫だ。無事に帰れるんだ。」と思った。

N子は具合が悪かったので、ホテルの人と私とで荷物を運び出し、タクシーで空港に向かう。
旅行会社からは帰国便の変更連絡が来ていたので、指示通りハノイ行きの飛行機に乗り込んだ。

私たちの飛行機が離陸した数時間後、空港は浸水で一旦閉鎖になったらしい。ギリギリ間に合った。

後で新聞記事で知ったが、この日カンボジアで洪水に巻き込まれた観光客は200人以上いたらしい。こんなに早く救助してもらえたのは、ひとえにJ君のおかげだった。

帰国

ハノイの空港で、日本に帰国する他の観光客グループに会った。彼らも天候不良を聞いて、急遽帰国することにしたそうで、泥だらけになった私たちを見てビックリしていた。何人かは関西空港まで私たちと一緒に行動してくれた。

日本に着くと、同僚N子の家族が迎えに来ていた。旅行会社から連絡を受けて心配しながら待っていたという。N子も家族の顔を見て安心したのか、泣き出してしまった。よく我慢したと思う。家族と一緒ならこの後は無事に帰れるだろう。

私は東京の姉に無事に関西空港に着いたことを連絡し、空港からひとりでバスに乗って帰宅した。バスの中で携帯の電池が切れ、韓国のJ君に連絡先を聞かなかったことに気がついた。無事に帰れたことにお礼を言いたかったが、バタバタしていてすっかり失念していた。

まったくJ君がいなかったらどうなっていたことか。今から思い出しても彼の冷静な状況判断と対応力には感謝してもしきれない。

非常時にはその人の本質が見えるというが、あの韓国カップルの女性はきっとJ君に惚れ直したことだろう。非常時にあれほど頼りになる人を私はこの後も見たことがない。

この時の経験から、私は海外に行く時は、非常時の連絡先と必要な対応をリストにして常に持ち歩いている。

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きいこ
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