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「ハラす」から「ハレる」へ(佐々木淳/紀伊路SCAPEリサーチディレクター)

紀伊路の旅を終え、東京へ戻って、いつも感じることがある。
都市の日常に戻ると、目に見えて「謙虚さ」がどんどんなくなっていくように感じるのだ。
ここでいう謙虚さとは、身の回りの風土や環境への態度、ということにちかい。
 
日々の仕事に戻れば、たちまち時間と仕事に追われる。
世間の情報もひっきりなしに入ってくる。ニュースやSNS。たくさんのモノや店。たくさんの会話。時間はどんどんどんどん、こま切れになっていく。

そんな環境でつぎつぎ発生する義務や欲望、それらがひっきりなしに空間を飛び交う---ああしたい、こうしなきゃ。そしていつかは、「こうなりたい」。
「なりたい」「なるべき」イメージが凝固していき、しだいに「人生の目標」っぽい、なにかの輪郭がつくられていく。

その「目標らしきもの」を目指すモチベーションが作動し「生き様」が生まれる。こういう「人生の目標」やそこへのモチベのことを勝手に「人生動機」と呼ぶことにする。まあ「生きている意味」のようなものだ。
 
この「人生動機」っていうのは上述の通り、なんらかの生活パターンの蓄積からムクムク「発生」してきて、あたかも「自分で勝ち取る」ものだとイメージされる(勝ち負けという思考原理がそもそも微妙なのだが)。

勝つかどうかは、自分次第だ。ならば頑張らないと。やりぬくぞ。
どうにも「自我・自意識バリバリ」っぽい、そんな思考や行為が蓄積していく中、風土や環境への「謙虚さ」はどんどんなくなっていく。

『現世』というフィクション 

ある時から、こうした「人生動機」とか、そのために行使される人生時間のことを『現世』というフィクションの産物、と見立てることにした。
つまり、現代人の生活パターンの蓄積で紡がれた壮大なフィクションだと見立てて、それを突き放して見てみる。
すると、たちまち気づくのだ。この「現世というフィクション」にどっぷり浸かったまま、そこから一歩も出ることなく、「別のフィクション」を見ることもなく、これまでの人生時間をやたらアクセクと送ってきてしまった、と.….. 
コレに気づくと、かなり愕然とする。

『現世』というフィクション

きっと、「若いころに世界一周をする」とか「偶然に任せて流浪の長旅をする」なんていう体験があるなら、その時点ですでに、この「現世というフィクション」から離れることができているだろう。別のフィクションだってあるんだ、ということに早々に気づくことができる。

長旅は「別のフィクション」への扉を開く

無意識に浮かんでいる風景 

そう、別のフィクションだってあるのだ。
紀伊路を踏破したあとには、このことにちょくちょく気づかされる。
 
というのも、なにかのふとした瞬間に「ある風景」が、まるで背景画のように意識の下部に姿を見せていることがあるのだ。なにかに集中しているとき「ここではない、どこか別の場所」が無意識に浮かんでいるようなタイプの人なら、腑に落ちやすいかもしれない。
 
いわばバックグラウンドの壁紙のようなものだ。ふと気づくと、そこににじみ出ている、ほとんど無意識での、紀伊路の記憶。
 
ん?と気づくと、ランダムな記憶の断片が、まるでずっとそこにいたかのように、無意識の海面にじっと佇んでいる。
うおっ、と思う。 これ、どこだっけ?
多くの場合それは「どうってことのない」シーンの断片で、旅していた時には気にもしていなかった(ように思える)場所や風景だったりする。

無意識の壁紙風景 4日目 山あいの下津集落
9日目 鮎川集落から見える「おにぎり山」

たとえばこんな景色たち。無意識の水面に浮かんでは消える「別のフィクション」のカケラ、断片だ。
内面に浮かぶ、これらのカケラにふと気づくと「何かワープする感じ」はするものの、不思議とそこに違和感はない。ただ「なんでこの風景なのだろう」というナゾは残っていた。
 
しかるにようやく最近、そこにナゾ感がなくなって「ナチュラルにわかる」ようになってきた。このカケラたちには「旅で迷走していたメンタルを包み、匿ってくれる感じ」が通底しているのだ。
この感じについては「『南』とは何か」という話につながっていくので、改めて次回、深堀りしていこうと思う。
 
今回ここで言いたかったのは端的に、紀伊路の旅は「現世というフィクション」から離れることであり、旅が終わってからもなお、ちょいちょい「現世というフィクション」から逸脱/覚醒するようなモーメントを与えてくれる、ということである。

「奥の部分」の居心地

上のことと表裏一体かもしれないが、同時にこんなこともおきる。
紀伊路の旅を重ねるにつれて、東京に戻ってしばらくの間は「現世というフィクション」にどうも馴染めなくなっている。そのフィクションにスッと戻れない、うまく入れないのだ。身体自体は東京にいるのに、身体のまわりに「フィクションを隔てる膜」ができている感覚だ。
踏破を重ねるほど、そんな感じが残るようになった。
 
その後はもちろん、いつしか「現世のフィクション」に戻っていく。
その物語にどっぷりつかり一体となっていく。すると今度はどこかに「心身がクモってきた」感じがつのり始める。どうも居心地がわるい。でも別にメディカルな意味で、ココロやカラダが不調になるわけじゃない。
 
そうじゃなくて、「もっと奥のところ」の居心地が悪くなってくる。やにわに思い立って公園へ行ったり、川べりにいったりもするのだが、根本的な解決にはならない。

クモったら行く、色々な場所(東京都内)

こうなると、またいったん「現世のフィクション」から離れるしかない。「紀伊路へ戻る」のだ。おそらく、自然にそういうリズムになってしまったようだ。
ところで、これには確かな理由がある。
それを紐解くためのキーワードが「ハラす」と「ハレる」である。

「ハラす」

心身の「クモり」や「居心地の悪さ」を感じるようになって、ああアレと似ているな、と思い当たることがあった。それは紀伊路で歩くことになる、大阪郊外のロードサイドの感じだ。だいたい1~2日目では、ほとんどがこのロードサイド区間となる。
 
この郊外ロードは単調で、まわりはアスファルトと車、人工的な建物だらけだ。どんどん疲れてくるし、気持ちも一向に定まらない。すっかり消耗し、気分も茫漠となる。

紀伊路沿道 郊外のロードサイト・ショッピングモール

最初にこのロードを歩いたのは、2年前の初夏のこと。アスファルトを延々歩き、汗だくでクタクタになり、途中のショッピングモールに涼を求めたり、道脇の草むらに倒れこんだりしながら、身も心もボロボロのまま、和泉府中まで歩いた。
 
日暮れどきにフィニッシュし、駅のそばの居酒屋に転がり込んだ。いちにち分の「ウサ」をすべて「ハラす」かのように、さんざん飲んで食べた。そんな挙動に出るのも当然の行程だったし、「ハラ」さないとやってられない、まさにそんな気分だったのだ。

「ハレる」

けれどもその後、この初夏の挙動は間違いだったことに気づくことになった。この郊外ロードを歩く醍醐味っていうのは、そういうものじゃない。「ハラす」ことで終えるような時間体験にしてはいけないのだ。
 
それに気づいたのは、翌年初めに2度目の踏破をしたときだ。このときはコースを少し変え、ロードの途中にある古い神社に立ち寄り、そこで休むことにした。

神社の名は等乃伎(とのぎ)神社。奈良時代の昔からある神社だ。
厳密な意味での紀伊路ルートからはやや外れているらしいが、所詮誤差の範囲と割り切り、ロードの行程のさなかに立ち寄ることにした。
 
いつも通り、2~3時間かけて延々と、堺のロードサイドを歩く。ショッピングモールを今回は素通りして、そのまま神社へ向かった。
 
境内に入った瞬間だ。
心身が一気にゆるむ。「ああ救われた」と感じた。五感すべてから良い「気」が入ってくる。
無条件に「包まれている」感じ。そして「癒されている」という実感。境内を囲むように鬱蒼と生い茂る木々の醸す、なんともいいがたい安心感。

「鎮守」というコトバにこめられた、体感的なイミをはじめて「わかった」気がしたものだ。
ロードサイドのコンクリート空間では皆無だった「心身のすがりどころ」、それがいたるところにある。漂流していた舟がやっと「投錨」できたかのような、安らかな気分になった。
 
気が「ハレ」るとは、こういうことをいうのだろう。
境内に身体を投げ出し、すべてをゆだねる。木々と空をまなざしていると、いつのまにか身体は深呼吸をしている。「ウサ」が勝手に、とれていく。そう、「ハラ」すのではなく、「ハレ」るのだ。
 
ロード歩きのウサを、モールや飲み屋で「ハラ」しても、その根本は癒えない。そうじゃなく、古い社のナチュラルな鬱蒼感によってはじめて「ハレ」、そしてやわらぐ。そういうことなのだ。
 
遠く4世紀の昔(あるいはもっと遡って先史からすでに)、この等乃伎の地は巨木信仰、太陽信仰の聖地であった、という説がある。
さもありなん、と素直に思う。心身がすでに、その「気」の恵みを実感しているから、ストンと落ちるのだ。土地や風土の本質というのは、上書きできないものなんだなあ、と感じる。

社の歴史を伝える説明版と、境内に聳えたつ巨木(等乃伎神社)

紀伊路は「ハレていく」道のり

紀伊路前半のロードサイドでは、コンクリート空間が、身体サイズをはるかに越えたスケールで広がる。
大きな幹線道路、無骨な高速高架、バンバン通る大型トラック、だだっぴろい駐車場、デカいモール、立ち並ぶ倉庫。こうした人工的な空間での時間体験、その蓄積の中でたまっていく「ウサ」。
浄化しようとすれば、往々にしてそれは「ハラす」方へ向かう。ロードサイドを歩いた疲れを、居酒屋の暴飲でハラしたように。しかし穏やかに風土と対話をしていけば「ハレる」ことだって十分に可能なのだ。
 
翻ってみれば「現世というフィクション」で暮らす日常の時間、これも喩えれば「ロードサイドを歩く時間」なのかもしれない。
だから都会には「ハラす」ための施設が沢山ある。飲み屋、カラオケ、ジム、ライブハウス、スタジアム、レース場、ギャンブル場。みんなで騒ぎ、リセットする場所。たとえ毎日が鬱々、茫漠としていても、用意された施設で「ハラして」リセットすれば、明日もみっちり働ける。
そうしてこまぎれの時間を走り続け、「人生目標」をめざす。これが「現世というフィクション」の理(コトワリ)だ。
 
しかし、この物語にあっては「根源的な疲れ」はなかなか癒えない。「ハレる」モーメントはなかなか持ちにくいだろう。
 
逆に、「現世というフィクション」から一歩離れると、何が根源的な癒しなのか、がよくわかる。「ハレ」ることで心身の解像度があがっていき、自然と「クモり」にも敏感になる。
 
そう考えると、紀伊路を歩きつづける10日間の長旅、これもまた「現世というフィクション」から一度大きく離れることに他ならない。
旅路全体がまるで時間のカプセルのような「別のフィクション」であり、長い時間をかけ、無意識のうちにだんだんと「ハレていく」行程でもある。これが「ナリ-ユキの旅」というコトバの含意でもある。
 
最初はまさに「現世というフィクション」まっただ中の、大阪中心部からスタートする。
長い郊外ロードサイドをすぎると、その先に「ホッとして毛穴が開く時間」が訪れる。紀州に入り、なんどか登攀するたびに、山上から眺望が開ける。これは文字通り「ハレる時間」だ。
ただそもそも、さほどウサもたまらなくなってくる。普段なら「ウザイ」と感じることも、ハレてしまうと何ともない。こうして、宿便のように奥までたまっていたウサやクモりが、自然に「とれて」いき、心身はどんどんと「ハレ」ていく。
 
そして、最後にたどり着く原郷のような場所。
山と川が長旅の疲れを包み、匿ってくれる。ここでは心身と風土・環境がもはや溶け合い一体となっている。まさに「別のフィクション」そのもの、そしてそれはもはや、「ハレる」を通りこして「戻る」に近い。

「ハレ」て、そして、見晴らす

ハラしてばかりの「現世のフィクション」から離れ、歩くなかでおのずから「ハレて」いく。そんな紀伊路の旅は、人生という長い時間スケールからみても貴重な「ハレる」ひととき、かもしれない。
 
「ハレる」ための地形的条件のひとつに「澄んだ見晴らしのよさ」があるように思う(※)。
これは単純な視覚の話に限らない。つまり「現世というフィクション」から離れることで、かえってその「現世」を俯瞰でき、見晴らしがよくなる。
逆に「ハラし」てばかりの人生時間だと、視野は一向に開けず、心の視野もむしろどんどん狭窄になっていくのだろう。
※ところでなんで見晴らす=ミ「ハラス」なのだろうか、、意味的には「ミハレル」のほうが正しい気もするのだ。
 
そう考えると、昔の上皇たちがなぜ、あれほどまで頻繁に熊野詣をしたのか。そこにもひとつ(勝手な)仮説がうかんでくる。
 
京という「現世のフィクション」からいったん離れ、心身が「ハレ」る時間をもちたい、そんな気分が彼らを紀伊路に駆り立てたのではないか、と。そしてそこには「現世というフィクション」を外から見晴らしよく俯瞰してみよう、という考えもあったのではないだろうか。

紀伊路から遠く現世を望む そのあいだに「結界」があるようにもみえる

紀伊路の旅という「別のフィクション」を味わってしまうと、もう「現世のフィクション」だけでは足りなくなる。心身に別のフィクション」「ハレた記憶」がインストールされるからだ。
 
ところで、今年の秋もまた新しい方々が紀伊路を初踏破する。10日間の「別のフィクションへの没入」によって「ハレ」たのち、次にどんな「別の人生目標」を紡ぎなおすのだろう。いずれこの方々にも、ここに読後感を記していただきたいと思っている。

《佐々木淳 プロフィール》
旋律デザイン研究所代表。
大手広告制作会社入社後、CM及びデジタル領域で約20年プロデュースに携わる。CannesLions、ロンドン広告賞、NY Festivalなど国内外各種広告賞受賞。
UX・事業戦略領域へ転じ、UXラボ主宰・UX戦略/事業開発部長を経て
AI時代を見据えた研究開発に専念。クリエイティブの知をデータ化する「Creative Genome Project」の研究を経て、非広告分野への応用モデル「Belief Finder」を独自開発。
2020年に旋律デザイン研究所を設立。 「モノ・コト・ヒト・空間がもたらす気分を解析し、QOLを仮説創造する」ことをミッションに、コンテンツ配信、都市開発、企業ヴィジョン立案など広い領域にて活動中。

紀伊路SCAPEではリサーチディレクターとして、プロジェクトの企画に全面的に携わる。

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