ブラジルではアジア人は見た目を褒められる?
私の外見は生まれてこの方、日本ではとりわけて美しいと評価されることはありませんでした。むしろ外見にコンプレックスを抱えていたタイプの人間です。子どもの頃、酔っぱらった親戚が私に「女でこんなに外見に恵まれないとなると、辛い人生になると思うぞ」と声をかけてきたことを今でも覚えています。(ムム、酔っ払いの親戚め。幼い子どもだった私に許せん!!)歳を重ねた現在は自分の外見にそれほど気にならなくなりましたが、そんなくらいに美しさとは無縁な人生を送ってきました。
それに加えて今はとうの昔に若者というくくりから外れて肌などもろもろの衰えも感じます。
そんな私がブラジルではよく見知らぬ女性から話しかけられ、外見を褒められるという珍事がたびたび起きていました。
街を歩くと特に若い女性たちから私や息子たちに向けてアイドルを眺めるがごとくキラキラな瞳で見つめられ、ときに突如話しかけられ、見た目が美しいと褒められていました。なぜこんな不思議なことが起きていたのか。今回はこのことについて振り返ってみようと思います。
ブラジルでは他人種や他文化の人たちにリスペクトを持つ人たちが多い
さまざまな人種がいるブラジルではありますが、私が住んでいた地域はアジア人がほとんどおらず、アジア出身者は珍しい存在で何をせずとも目立つ存在でした。
ブラジルでは自分とは違う人種など属性を持つ人に対して、好奇心やリスペクトを持つ人たちが多いと感じています。これは以前に記事にしたようにブラジルでは幼少期から多様性の教育に重きが置かれているからかもしれません。外国人差別もほとんどないように感じました。
そのため、アジア人という「自分とは違う特性を持っているから」私たちへの評価が高かったのだと思います。
アジア人そのもの評価の高さ
ブラジル人は「自分とは違う特性を持っている」ということにリスペクトを持つ、と書きましたが、私の街ではその中でもとりわけてアジア人に対しての憧れを持つ人が多くいたように思います。それは外見もありますが、アジア人そのものに憧れる人が少なからずいました。
ある時、街中で妊婦さんが私に突然話しかけてきて、まぶしい笑顔で「このお腹の子にはアジア人の血が入っているのよ!」とおっしゃっていたこともありました。ご結婚相手が中華系の男性なのだそうで、隣にいた妊婦さんの実のお母さんと思われる女性も満面の笑みで私たちを見つめていらしたことも印象的でした。彼女たちにはこんなにアジア人がリスペクトされ歓迎されているのかとありがたい気持ちになるのと同時に、私自身の努力ではなくアジア人だというだけで高く評価されることに何かむず痒い気持ちにもなりました。
また私が病院の受付でポルトガル語での会話に難儀していた時、若い女性が急遽私に英語で通訳をしてくれて助けてくれたことがありました。雑談をする中で、その女性は彼氏が韓国人だと私に伝え、彼女は彼への熱烈な思いを吐露していました。初対面ながらも携帯から彼の写真を私に見せてくれて「ハンサムでしょ?」ととろけるような笑みで私に同意を求めていて、そんな女性がとても可愛くて微笑ましかったです。これは彼女がアジア人だからというわけではなく彼自身だから好きになったのであって、また彼固有の外見が好きでのろけていただけかとは思います。しかし「この女の子も一人のアジア人の外見を美しいと思っているんだなあ」とまたひとつ心に残りました。
私からすれば、ブラジル人はホリの深い顔立ちにぱっちり二重、小さな顔に長い手足など私が幼少期から日本で落とし込まれてきた美の定義に当てはまるかたが多く、またご自身に自信を持たれているかたも多く堂々とされていて、ブラジル人こそ美しいと思います。そんな中で日本で評価される分には(そして私自身の認識でも)美しい顔立ちでもなく美しい体型でもない私が褒められたり、アジア人全般の外見の評価が高かったことに少し不思議に思ってしまいました。
とりわけ一重の目が大人気
私の息子たちは目が一重なのですが、よく「なんて美しい一重の目なの!」と褒められていました。ブラジル人は一重の目を「潰れた目」(olhos puxados)と言うので、最初非難されているのかとびっくりしました。しかしあまりの数のブラジル人が感激しているような顔で言うので、褒めてくれているのだ、とすぐに認識するようになりました。
ブラジルでは目がぱっちりとして多くの日本人が憧れそうな二重の目の方ばかりでした。物珍しさも相まって一重の目に対しての評価が高くなっているのかもしれません。
息子の幼稚園のクラスメイトで、「生きるフランス人形」と心の中で思っていた二重でお目目ぱっちりのブラジル人の超絶美少女が「自分の将来の子どもは一重だったらいいな。将来日本で暮らしていたら一重の子どもが生まれるの?」という可愛らしいことをママに言っていたのだそうです。
黒く真っ直ぐ伸びた髪も評価が高かった
そしてアジア人の太くてまっすぐ伸びた髪の毛への評価も高かったです。
街中で何度か黒人や黒人のルーツを含む女性から突然話しかけられ、私の真っ直ぐ伸びた黒髪を褒めてくれたことが何度かありました。自分の髪が取り立てて美しいと思ったこともなかったのですが、これもまず珍しいことが理由で評価が高かったようです。
またもう一つの理由として、黒人系の女性でまっすぐの髪の毛に憧れる方が多いことも理由にあるかと思います。黒人女性でストレートパーマをあてる方や真っ直ぐな髪のカツラをかぶる方も多いそうです。街ではかつら専門店も多く有りました。
もちろん黒人系の方特有の小さなカールの髪に誇りを持っておられる方もいらっしゃいます。私の友人も幼い頃から自分のカールした髪の毛にコンプレックスを持ち、若い頃は常にストレートパーマをあてていたそうです。しかしある時から自分の髪の毛を一つのアイデンティティとして誇りを持つようになってそのままの髪を美しく見せるように方向転換をしたのだそうです。私も彼女のボリュームある髪の毛は長い手足に小さな頭、そして何より彼女の自信に満ち溢れて堂々とした雰囲気に合ってとても綺麗でした。
今までブラジル社会に貢献してきたアジアの移民たちがアジア人の評価を上げていた
ブラジルに来てこんなにも外見を褒められるようになり、今までの自分の人生にはないことだったのでびっくりしていました。これには今までブラジルに移民した多くのアジア人がブラジル社会に貢献し、ブラジル国内で評価を上げ、その結果外見を含めアジア人への印象が良いものになったのではと考えています。日系ブラジル人がこれまでいかに苦労し、その苦労を経て素晴らしい業績をブラジル国内で上げてこられたのかということをブラジル在住時に多く見聞きする機会がありました。このような話は日本にいるとほとんど耳にすることがありませんが、思いがけずこのような恩恵を受けられたこともあり、自分なりに日系ブラジル人の方々の歴史について調べてみたいです。
悪いイメージも簡単に植え付けられる
ブラジルで思いがけず私が美女あるいは憧れの人扱いを受ける、というヒョンな体験ができましたが、
一方で街中で話しかけられて日本出身である話などをしていくうちに、話しかけてきた方が「日本は素晴らしいけれど、同じアジアでも〜の国の人たちは、だめだ。詐欺師のような人ばかりだ。」というようなことを言っていたこともあります。彼の中でそのような印象を持つきっかけになったことがあったのかもしれませんし、そう見聞きしただけなのかもしれません。しかしそれを一般化してその国の人全てが詐欺師だという印象を持っていたことに少し恐ろしさを感じました。
まとめ
このように良い意味でも悪い意味でもステレオタイプというものは自分の行いに関係なく作られます。私の場合はたまたまブラジルで評価の高い日本人であるということで見た目までプラスな印象を持たれたのかなあと振り返ります。好印象を持ってくださったことや、ブラジル国内で日本人の評判を上げてくださった数多くの先人たちに感謝をしつつも、自分自身を気に入ってもらい地道に関係を築いていくことが大事だと思いました。
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