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日常的に美しい言い回しをする大人にあこがれる。
人と話をしていると、その人が日常的に使う言葉遣い、単語、言い回しによって、その人がどんな文章に触れてきたか、何を美しいと感じているかが見え隠れすることがある。
あ、この方はおそらく本を多く読む方なのだろうな、と思うことはそれほど多くはないが、それでもそういった言い回しをする方を見つけると「かっけーな」と思ってしまう自分もいたりするわけ。
例えば、
「いやぁ、そんな"インチキ"な商売はしませんよ」
なんて言われた日には、この「インチキ」というワードをこの人は日常的に使っているのだな、と思ってなんだか好きになる。
インチキという言葉を辞書的に調べることはここではしないが、インチキから漂うどこかポップなニュアンスは嫌いじゃない。悪い物=インチキと言い換えてポップにする心構えが素敵だ。
あるいは、
「いえいえ、そんな"崇高"な考えは持ってはいませんよ」
「崇高」という言い回しもまた、何か言葉を大事にしてきた人独特のニュアンスを感じる。
「素晴らしい」では軽すぎるし「霊験あらたか」だと小難しすぎる。茶目っ気たっぷりに自分を落としつつ、何かを主張するために「崇高」と言っちゃうあたりに、面白さを感じる。
さらに、
「日本古来の文化の"土壌"というものがありますからね」
「土壌」ときた。イデオロギーとか哲学とも異なる「底に横たわる何か」をあらわす意味での「土壌」である。
土壌という言葉を使ってる人ってなかなかいない気がするが、どんな文物を見たら、考えるより先に口をついて出てくるんだろう、と不思議な気持ちになる。
最後に、
「そんなに"目くじら"を立てることもないでしょうに」
「目くじら」って、語源はなんだろう。もう調べることも面倒である。まさかクジラではあるまい。
と思って重い腰を上げて調べてみると、「目くじら=目尻」とある。目尻を立てるように目を釣り上げて怒る、みたいなことからきてるのかしら。にしたって「目くじらを立てる」という言い回しなぞ、ようせんでしょう。
思うに、
相手からこう思われたい、要するに、少しでも賢く見られたい、という心が透けるとダメだ。
つまり、意識的に難しい言葉を使う、
そういう人種のことである。
そういう方とお話すると「お?」と思うことがこれまでの人生で多くはないが、でもあった気がする。
「アサーティブ」だとかの横文字などがそうだ。
難しいことを誰にでも分かるように伝え、
その中でその人独特の言い回しをしている様子を見ると、それは憧れに変わる。
こういった言い回しをする人たちを、至上のものとして崇めるつもりはないのだけれど、でも、なんだかそういう人の会話を聞くと、自分までもが一段高みに上がったかのように錯覚してしまうから不思議だ。
何が言いたいかというとシンプルで、やっぱり言葉の言い回しが豊富で個性がある人たちは、おしなべて本を読んでいる、ということである。
だからと言って「みなさん本を読みましょう」という主張をするつもりはないけど、やっぱ読書って大事だなぁと思う気がする。
だって、話し言葉が素敵な人は、
それだけで少し得をしているんだもの。
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<あとがき>
文章を書いていると「こういう言い回しはどうだろう」と考える時間がたくさんあるのでなんとなく書けますが、0秒で思考する会話の中で不思議な言い回しをする人には、言葉にはしがたい尊敬の念が芽生えるものです。なんだか憧れてしまうんですよね。で、自分もやってみて「やっぱ無理だわ」の繰り返しな気がします。今日も最後までありがとうございました。
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〈記事から引用〉
>上品な人に憧れる。
品があって、気高く、他の人とは何かが違う。そんな人たち。あぁ、あの違いはどこから出てくるのだろうか。