列車は海底をひた走る。
北海道生まれ北海道育ちの私が、はじめて北海道を出たのは、中学の修学旅行のときであった。
私が通っていた中学校は、ほかの多くの北海道内の中学校がそうであるように、修学旅行で東北を巡った。
青森、秋田、岩手である。
秋田はただ素通りするだけだったが、青森県の巨大ねぶたの前では記念撮影をしたし、岩手は猊鼻渓にいき、川下りをやった。
同級生の成田という男の子が、岩手でわんこそばを食べすぎて限界突破した結果、そばを全て吐いてしまい、男子一同、抱腹絶倒の大爆笑だった記憶がある。
北海道というのは、本州と津軽海峡によって隔てられている。本州へ行くためには海を越える必要があるのだ。当時、修学旅行で東北を訪れた際には、飛行機でもなくフェリーでもなく、列車に乗って本州へ渡った。
みなさんご存知、青函トンネルである。
青森と函館、つまりは北海道と本州を結ぶ海底トンネルだ。
修学旅行が間近に迫る中、資料集で見ていた青函トンネルをいよいよ通過できることに、15歳の私はウキウキしていた。
ここでみなさんにお尋ねしたい。
海底トンネルという響きから、中学生が想像する景色はどんなものだと思われるか?
…
当時の私は、海の中を透明な筒が通っていて、私たちを乗せた列車がその中を走るものだと思い込んでいた。
想像の中の光景では、青く透明な海の中を、イルカやクジラ、魚やウミガメと一緒に走る。英語のSeaという単語ではなくOceanがピッタリ当てはまるその中を、窓から見ながら通るものだと思い込んでいたわけである。
札幌駅から列車に乗った当時の私は、資料集で読んだ青函トンネルの豆知識をしゃべりにしゃべった。ホグワーツに辿り着く前のハーマイオニー・グレンジャーよりしゃべった。
そんなことを、お父さんのお金で買ったおやつをポリポリ食べながらほざくわけである。
列車内に「まもなく青函トンネルに入ります」というアナウンスが流れたとき、私は「いよいよだ!」と興奮していた。
が、トンネルに入ったかと思えば「ッゴーーーー」という音が鳴り響き、窓の外は真っ暗。
静かにそう言ってきたのは後藤先生で、私はまゆげを八の字にして、すごく残念な気持ちになった。
ちょっと考えてみりゃ、そりゃあそうなんだけど、青函トンネルは海底トンネルとはいいつつも、海の底の地中を掘っているだけのことらしい。
「だけのこと」というと、当時青函トンネルを作ったであろう方々には大変失礼なんだけれども、中学生の私が抱いていた妄想とは異なる景色だったわけである。
で、思うのだ。
「もしかして、地中を掘って繋げたらいいんじゃね?」って言った奴は誰なんだ? この大プロジェクトの総指揮をとったお方は、いったい全体どんなお方だったのだろう。
だって、海の底だよ?
うーん、不思議である。
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