せせりはポン酢で食べる。
札幌の歓楽街すすきのに、とある焼き鳥屋さんがある。
細い路地裏にひっそりとたたずんでおり、店内はカウンター席だけ。よくしゃべる70歳超えのじーさんとその奥さまが2人で切り盛りしており、じーさん店主はお客さんから「マスター」と呼ばれている。お店はもう40年以上になるはずだ。
店の名前を仮に「鳥まる」としよう。
いまから10年前の私は、しょっちゅう「鳥まる」に行った。すすきのの路地裏にあるカウンター席だけの焼き鳥屋さん。こういう店に行きたい23歳だった。
常連客がみんな「マスター、マスター」と親しげに話しかける中、私にはそんな勇気はなく、ただ行って、ほんのちょっとだけ話して、いや、話しかけられるのを待って、それで焼き鳥を数本食べて帰るだけ。
マスターも奥さんもとても気さくで、「イトーちゃんよ、おれぁむかしは夜の越後屋と呼ばれててよ」とマスターが昔話をすれば、奥さんが「また嘘ばっかり」と笑い、私は「あはは」と嬉しくなる。
ある日、私は「鳥まる」でせせりを頼んだ。せせりはおいしい。どの部位なのか知らないけど。
そしたらマスター「あいよぉ」と言って、テキパキとせせりを焼く。それで塩でもふりかけて渡してくれるのかなと思ったらこう言うのだ。
「イトーちゃんよ、せせりは塩じゃあなくて、ポン酢でいくのがオツってもんなのよ。ほれポン酢、あらよっ」
「鳥まる」のマスターがそう言うならそれがオツなんだろう。もしかすると、せせりをポン酢で食べるだなんて当たり前じゃないか、と言う人もあるかもしれないが、当時の私はこれがとても新鮮に思えた。マスターが言う「これがオツ」という言葉も23歳の私の心を妙にとらえる。
「え? ふつうはせせりには塩コショウをかけるんですか? はぁ、そうですか。しかし鳥まるスタイルはひと味違いますよ、ポン酢なんです。ほーら、どうです?」
みたいな。
だから、以降、私はせせりを食べるとき、できるだけポン酢でいきたいと思っている。もちろん塩のときもあるにはあるが、せせりのときはできるだけ鳥まる印のポン酢でいきたい、と常々思っている。
ちなみに鳥まるにはもう10年行ってない。マスターと奥さんがいまどうなっているのか、まだ元気にやっているのか、そういう現在を知らない。なのにいまだに「せせりはポン酢でいきたい」と思っている。
これってすごいことじゃないか?
「せせりをポン酢で食べる」という行為は、鳥まるのマスターから教えてもらった。いまはもう鳥まるに行ってないのに、10年に渡って私の行動を支配している。おそらく向こう50年、なんなら死ぬまで「せせりはポン酢」でいきたいと思う。
そう考えると現在の私の言動・行動はすべて誰かの受け売りで、誰かの受け売りがモザイクのように今をかたち作っている。過去の経験は未来にまで影響を及ぼすのだ。いま誰かにアドバイスしたことが、誰かの10年先の行動や思想を支配することがありうる、というわけである。
これってすごいことではないか? 10年前の鳥まるのマスターは時を超えて未来の私の行動を変えてるんだよ? この感動、どうやったら伝えられるのだろう! 哲学がワープしてるじゃないか! これはすごいことだぞ!
ま、当たり前の話である。二千年前の哲学者が言ってたこと、75年前に決まった法律だって同じことだ。大昔のなにかが時を超えて今の人々の行動を支配しているもの。当たり前じゃん。
でも、さらに、まだあるぞ。
いまここで私は「せせりはポン酢でいきたい」という話を書いた。もしかするとこれを読んでくれた方の0.1%くらいが「ほーう?」と言って本当にせせりをポン酢でいくかもしれない。そうなると、鳥まるのマスターは、私だけでなく、私の先にいる誰かの行動も変えたことになる。
すごい! すごい! すごすぎる!
1人の背景には250人の関係者がいる、みたいな話はよく言われること。
そういや私のむかしの仕事は「生命保険外交員」だった。当時の私は「自分の半径5km以内の不幸を軽減させる」ということをテーマに仕事していた。
目の前で話を聞いてくれるお客さんのうしろには両親や兄妹、旦那さんにお嫁さんにお子さん、無数の関係者がいる。そのお客さんがしっかりと考え抜いた保険に加入するということは、関係者の万にひとつの不幸を軽減することにつながるのではないか、と考えていたわけだ。なんと高尚だろう! こういう人から保険に入りたい!
つまり、誰かの思想や助言、哲学、アイデアは時を超えるということを言いたい。さらに、1人に伝えるとその背後にいるであろう無数の誰かの行動も変えうる、ということも言いたい。
だからこそ私はここでポジティブなことを書いていたい。
読んでくれた方の0.1%でも「ほう、いいこと書いてるな、クソめ」みたいに感じ取ってくれて、それで本当に行動が変容して、その行動がほかの誰かにも伝播する。そしたらどうなる? よくなるだろう。何かがよくなるに決まってる。そういうおこがましさを私は持っているのだ。
過去の偉大なる思想家・哲学者・文筆家が手をつないで輪になっているとする。その輪の中にちょっとだけお邪魔させてもらいたいと思ってる。端っこでいい。あっち側、輪の中にいたいのだ。
じゃないと、こんなもの、毎日書かんで。
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