子どものころに割と信じていたこと。
かつおぶしは生きている、と親から言われたときはマジで信じた。
たとえば炊き立ての白米にかつおぶしを乗っけると、あれはゆらゆらと動く。その様子を見た小さな私は、白米の上でゆらめく物体がなんなのかわからず親に聞いた。
ねぇママ、これはなーに?
母さんは「これはかつおぶしっていうんだよ」と言い、つづけて「しかもこれは生きてるんだよ」と言った。
かつおぶしはたしかに生き物のように動く。まして子どもの世界の中心であるママがそう言うのだから、たしかに生きているに違いない。まんまとかつおぶしは生き物だと信じて、何日間か、それか何ヶ月間か、あるいは何年間かを過ごしたような気がする。
またあるとき、というかあれは2000年。
シドニーオリンピックの男子サッカーを見ていた。当時の私は10才である。あの大会のサッカー日本代表における中心選手は中田英寿だったのだが、彼がボールを持つと実況が「さあ中田! キラーパスが出るか!?」とよく言った。10才の私は「キラーパス」の意味が理解できない。だから父さんに聞いた。
ねぇ父さん、キラーパスってなーに?
サッカーを知らない父さんは言った。
「......そりゃお前、キラーパスってのはな。......ひと言で言えば殺しのパスだな、殺しのパス」
殺しのパスと言われても「は?」と理解ができなかったので「殺しのパスってなーに?」とまた聞く。
すると父さんは「あー、殺しのパスってのはな、芝生をスーーっと這っていくようなやつだよ。キラーパスはスーーっといく殺しのパスだな」と遠い目をして言う。
ほかにもそういう、親の戯言を本当のものと信じていたことがたくさんある。子どもってかわいいな。父さんも。
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