私が敬愛するベンジャミン・フランクリン師匠は、アメリカ建国の父として知られ、模範的なアメリカ人として尊敬を集めているとか、いないとか。
私は日本人だから、フランクリン師匠の実際の印象は知らない。知らないけど、彼の本を読むと尊敬すべき点が多くあり、私の心にはいつもベン兄さんがいる。
…
という記事を、noteを始めて2ヶ月目に書いた。
彼の金言のひとつに「他人の自慢話を許容する」という言葉がある。上記の過去記事から、フランクリン師匠の「自慢話」にまつわる金言を引用してみる。
この言葉を知ってからの私は、長きにわたって他人の自慢話を許容する、という態度でやってきた気がする。
「こんなことがあって」という自慢話を聞けば、それはすばらしい、と本心で思いながら聞くようにしている。
のだが……
ある日、思ってしまった。
人々の自慢話に対して……
ああ、なんて性格が悪いんだろう。
誰かの自慢話に対しての、だからどうした?
バッサリすぎて、言われた相手も「……たしかに、だからどうしたんだろうね」となるのではないか。
だからこそ、日常生活では言わない。
でも……言ってみたい。
さて、どんなときに「だからどうした?」が使えるだろうか。他人との会話における自慢話シチュエーションをちょっと考えてみよう。
……
…
..
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……(ほわんほわ〜ん)
だからどうした? を使いたい5つの場面
[1]安倍元首相と話したことがあるんだよね
[2]毎日投稿を1,000日継続してるんだ
[3]注文住宅で家を購入したんだよね
[4]ベンチャー企業に内定したんだ
[5]副業月収が本業を超えました
おわりに
さて、こう書いてみて思ったのは、やっぱりベンジャミン・フランクリン師匠の言っている「他人の自慢話を許容する」という考え方は、円滑な人間関係の構築に必須のものである、ということ。
なんにでも「だからどうした?」と噛みついていたら、マジで嫌われるどころの話ではない。
仮に「だからどうした?」と思っていたとしても、こうやってnoteに書くべきでもない。まだまだこんなシチュエーションはあるはずだ。
思うに、この記事全体が「だからどうした?」な気がする。
で? 何が言いたいの?
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