見出し画像

陰キャが夜のクラブに挑戦したところで、人間の数をかぞえて終わるだけ。

10年以上前、大学生のころの私はあいもかわらず「少し変わったヤツでいたい」と願っていた。

周りからどう見られるかとかそういうのは関係なく、とにかく「俺は変わってるヤツ」「俺はちょっとちがうヤツ」という自己認識のもと行動していた。コンプレックス魔人である。

大学で新規の友だちはひとりもできなかったから、傷を舐め合うような高校時代の友人と連れ立ってススキノでよくお酒を飲んだ。

仲間うちでは毎週水曜日の集まりを「お水の会」と名づけて、普段のアルバイトで貯めた当時精一杯の財産を、夜の街にすべて還元するという名目で居酒屋でただ会話を楽しむという遊びをひたすらやった。

もちろんと言うべきか、心の中では「あーここに異性がいたらなぁ」と全員が思っている悲しきクソ陰キャである。

この記事は私の父も読んでいるだろうが申し訳ないわ。そういうヤツだったんすわ。マジごめんなさい。今はちゃんと働いてます。今度そっち行きますわ。



あるとき、仲間うちで「もしも俺たちがナンパをするなら?」という話で盛り上がった。「もしもナンパをするならどう話しかけるだろうか?」という陰気な討論会ディスカッションである。

もちろん、ナンパなんてしたことはなかったし、現在時点においてもナンパというのはとても悪いものだ〜! 犯罪の温床〜! と思っている。ナンパ怖いぞ。


私たちのような根の腐った人間たちは、ナンパにおいては「いかに奇妙なアプローチ」で異性を楽しませるか? に力点を置いて盛り上がった。

あるときの「お水の会」で誰が言ったかは忘れたが「今まで出てきたナンパのやり方を実際にやってみないか?」ということになった。

全員がツバをゴクリである。実践するとは聞いてない。

「お水の会」はお水の会と名づけるくらいだから、全員お水な経験などなく、異性経験みたいなものを神秘と思っていた。ちょうど1800年代のヨーロッパが日本という謎の国に対して抱いていたであろう「マジカル東洋」くらいのものと認識している。

誰かがだれかと付き合ったとか、そういう話を聞くだけで「え〜! マジンガ〜!?」と目をひんむいて聞くような、15歳の延長のようなヤツらだった。当時21歳くらいである。父さん、どうかな? すばらしいかな?


というわけで実際にナンパをやってみた。お店で。あるいはススキノの道端で。

どんな風に声をかけたかというと、

「この辺でこんくらいのペンギン見ませんでしたか?」

「さっき西川きよしが歩いてたんだけど、見ませんでした?」

「大阪から来たんやけど、ここって旭川?」

「あなた前田敦子ですよね? ここにいていいんですか?」

「このあとダライ・ラマと合流するんですけど一緒にどうです?」

こうやって話しかける。そこから飲みに行くとか、どうこうなろうなんて発想は最初からない。いかにして相手の表情を変えられるか、それだけが興味。というか全員が全員チキンボーイだったのである。


こう話しかけるとたいていは無視される。あるいは言ってることの意味が分からず「?」という粋ではない反応をされたりもした。

しかし中には「え〜おもしろぉい!」とか「西川きよし見ました〜」と乗ってくれる心優しい人財もいた。人のたからと書いて人財。

さらには、ボンキュンボンみたいなお姉さんが「ほう? 新しいね?」と言ってくれることもあったり、「で、坊やたちはどこで飲みたいの?」みたいなリクルート的な反応をしてくる人財もいた。

私たち「お水の会」は乗り気なお姉さんたちにブチあたれば「ヒェェェェ」と言って尻尾を巻き逃走するのみである。父さん、こんな情弱を相手にするような息子でマジですまん。




そんな私たちが、ある日クラブに行くことになった。「ビーライフ(仮名)」という今はなき札幌の有名なクラブだ。マジでごめん。

「お水の会」で、ちょっとビーライフにも行ってみよう、とまぁ、そうなったわけである。

私たちはクラブという未知の世界には一歩引いていた。陰キャだから。だが、何事も経験だと思い「お水の会」の面々はビーライフに足を踏み入れることになった。

クラブの入口で料金を払い、リストバンドを巻かれた時点で、既に自分の中で違和感が広がる。「なんだこのバンドは?  これは楽しむためのものなのか?」そんなことを考えているうちに、中に入ってみると、その違和感はさらに強くなる。

ビーライフでは、音楽と光の中でたくさんの人々が踊り、笑い合っていた。「え? ディズニーランドにワープした?」とボケたところで誰にも聞こえないくらいの重低音が鳴っている。まるで別の世界に足を踏み入れたような。



私はいてもたってもいられず人の数を数え始めた。

1、2、3、4、5……。

次々と入れ替わる人々の動きを観察する。する、というかそれしかやることがない。怖い。怖い、怖いよ、父さん!

ここにいる男女たちは、果たして何を求めているのだろう? 音楽を楽しんでいるのか、それとも出会いを求めているのか? そもそも何も考えていないのか。この場においてこの空気に身を委ねていない自分もなんだか恥ずかしい。乗っかればいいのに。


しかしひたすら数を数えることに没頭するしかなかった。

踊りもせず、ナンパもせず、ただそこにいた。

お水の会は何も得ることなく、その夜を15分で終えた。ナンパで何度か笑いを取った経験がある自分ですら、ここでは何もできなかった。というか何もできない男なのである。ビーライフという場所で、私はただの数を数える人間として過ごし、そしてその場所を後にした。入店から15分で退散。

お水の会の面々に「どうだった?」と聞いてみる。

ひとりは男女比を数えていた。ひとりはある男のみを観察しどんな行動を取るかを観察していた。ひとりはみんなの踊り方の共通点を観察していた。

考えることは一緒なのだな、とみんなで陰気に笑った。


物事には人それぞれ合う合わないがあるようで、その場を斜に構えているような人種よりも乗っかっている人種のほうが絶対に楽しい、ということを学んだ、

気がする。


<あとがき>
あのころの自分がいかに「場違い」だったかを改めて振り返ると、情けない話です。クラブで得たのは、新しい出会いでも音楽体験でもなく、ただの人間の数でした。もし同じことをもう一度繰り返すなら、もう少し「楽しむ」ことを優先できるかもしれません。ですが、人生の中でもう一度あの空気を楽しむには歳を重ね過ぎている気もしています。残念です。

【関連】お酒は人を壊すというエピソード

いいなと思ったら応援しよう!