見出し画像

プロ野球選手はなぜ金のネックレスをするんですか?

プロ野球を見ていると、イカついネックレスをしている選手の姿が目につく。

ハイライトを見ると巨人の選手がバットをバゴんと振る。首元に目をやるとイカちぃネックレスが誇らしげに揺れている。阪神のだれかがヒットを打つ。選手は一塁めがけて全力疾走。塁上でなにか話をしている様子がアップになると、まただ。首元にキラリと光るのはイカちめのネックレス。

色は金色であることが多く、たまに銀のネックレスをしている選手も目につく。ネックレスを池に落としたら神様が出てきて、

「君が落としたのはどっち?」

「あ、金のほうです(ゴリっ)」

彼らは普通のネックレスをしない。あのネックレス、邪魔じゃないんだろうか。きっと邪魔じゃないんだろう。ちょっと怖い印象があるぞ。だれか止める人はいないのだろうか。いないんだろう。

メジャーリーガーの中にもイカついネックレスをしている選手がよくいる。個人的には黒人選手が多く身につけている印象だ。


はて、なぜプロ野球選手はイカついネックレスをするのだろうか。

そう思ってむかし調べてみたことがある。

「おそらくこれではないか」という考察があった。

私なりに咀嚼して書くと、つまりこうらしい。


-プロ野球選手が金のネックレスをする理由

小中高とひたすら野球だけに打ち込んだ野球選手は、個体差があるが、絶望的にファッションセンスがないことが多い。野球以外の世界を知らないからだ。プロ野球選手になると多額のお金が入る。そして2年目で気づく。

「税金でこんなに持っていかれるのか」

それはいやなので、身につける物にこだわりだす。なおかつ資産価値のあるものを選択したいと思うのがお金持ちのサガ。

しかしファッションセンスがないのでよくわからない。結果、先輩たちがしているもの、つまり金のネックレスを選ぶことになる。ネックレスは身につけるものなので「ゲンかつぎ」「願掛け」にもなる。

野球選手は気づかない。イカついネックレスが他者に与える印象に。諸悪の根源は1番最初に金のネックレスをした野球選手である。脈々と受け継がれている金のネックレス、ファーストネックレスがだれなのかは、だれも知らない。


野球選手に聞いたわけではないので想像の域を出ないが、妙な納得感がある。野球選手かっこいいよ。



同じように存在するのは全国の「数珠じゅずリスト」である。手首に数珠のようなブレスレットをつけたおじさんがよくいる。

ある人は彼らを指して「数珠ラー」と呼んでいるらしいが、私はもちろん『遊⭐︎戯⭐︎王』世代なので決闘者デュエリストへのリスペクトを込めて「数珠リスト」と呼ぶ。

数珠リストは40代以上に多い。そして役職者であることも多い。それから50代以上の経営者にも多い。名刺交換の際に手首に数珠がチラつくと「おお〜この人、数珠リストだな」と思ったりする。

おじさんはなぜ数珠リストになるのだろう?

まず大前提、人はアクセサリーが好きだ。身につける物には物質を超えた意味を持たせることができる。あと、おしゃれ。

それから人は何かにすがっていたい。何かにすがるのは頑張っている人にほど多い。人事を尽くして天命を待つ人種だ。だからか大企業の経営者のバックには占い師がついていることが多いと聞く。もしかすると占い師に言われているのかもしれない。

「数珠リストになりなさい。そうすれば全部うまくいきます」

「ええ!? 数珠をつけるだけでいいんですか?」

「ええ、数珠をつけるだけでうまくいきます。全部」

「ぜ、全部ですか」

「ええ、全・部」

こうなってくると、金のネックレスと同じように、最初に数珠をしたファースト数珠リストがいることになる。もちろん、それがだれなのかはだれも知らない。


これを書いて思い出したが、大学生のころの私はあろうことか左手首に黒のヘアゴムをつけていた。ミサンガのように。

日常生活でもバイト先でもすっぽんぽんになるお風呂でも。なんのことはないただの黒いヘアゴム。切れるたびに交換し、たぶん5年以上はつけていたと思う。とってもダサい。

なぜこの黒ゴムを手首に巻こうと思ったか。そこには私なりの「お気持ち」がある。


なにかいいことが自分の身に起きたとき、それが自分の実力で勝ち得たものだと思って傲慢になる自分がいやだった。バイトに受かった、だれかに褒められた、恋人ができたなど、いいことが起きるたびに「これは俺の実力があったから」と思ってしまうと、将来どんな人間になるかが怖く感じられた。20代前半のころだ。

自分にとっていいことが起きた理由を、ほかの何かのおかげだと思うことで、傲慢になることを避けたかった。

なので、黒いゴムを手首に巻くことにした。これならいいことが起きるたび「これはこの黒ゴムのおかげだ」と思うことにできる。人の姿をしていない私だけの神を左手首に置きたかったわけである。こうふりかえると「信仰」というのは、こんな感じで仕上がるのだなと思ったりする。


金のネックレスも数珠も、20代の私がしていたような黒いゴムと役割がいっしょなのかもしれない。

その人にすがるものがあるのは多分いいことなのだと思う。もちろん他者に押しつけてはいけないけどね。


<あとがき>
プロ野球選手や数珠リストの奇妙なファッションセンス。どんなアクセサリーにも背景にはその人だけの物語がある気がします。ネックレス、数珠を見て「うわ」と思うのではなく、その背後にある彼らなりのこだわりに気づけるようでありたいですね。意味、価値、つまりは物語性が大事だといえそうです。今日も最後までありがとうございました。

【関連】人を観察して見極めるのが大事かもね

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集